海外旅行1300万人時代へのエール

2024.01.05 00:00

インド最南端のコモリン岬。夜明けを待つインド人でいっぱい(筆者撮影)

 昨年10月、4年ぶりにインドに行った。

 ムンバイから入ってマドゥライから出国する南インド17日間ひとり旅、新鮮なことが多かった。

 まず驚いたのが空港のトイレ。全部ダイソンの最新式ハンドドライヤーではないか。トラブルが多かった空港から市内への移動もウーバーの空港職員がテキパキとさばく。すごい進化、と思ったら、街に出ると大通りに牛がいるし、トイレは水桶だけで紙がないことも。バスや列車もアプリで簡単に予約できるが、来た夜行バスの寝台はボロボロで中の綿がはみ出ている。そしてどこもインド人観光客でいっぱい。各所でセルフィーを頼まれ、コモリン岬は見物客であふれ沐浴どころではない。だがそのおかげで宿泊施設がレベルアップしていて、全体的には旅がスイスイ進むようになった。

 帰路に3日間だけ立ち寄った同じく久しぶりの香港。こちらで驚いたのは、店や食堂でかけられる言葉・聞こえる言葉が日本語は皆無でほぼ中国語や広東語なこと。欧米人や日本人の影は薄い。宿代も含め物価の高騰には泣かされた。

 旅を通して強く感じたのはコロナ禍後の世界の変化だ。インドはもはや神秘と混沌の国ではないし、香港は買い物で行く街ではなくなっている。

 ノスタルジックで親日な台湾。
 韓流もコスメも楽しみたい韓国。
 グルメもショッピングも堪能!

 ツアーの宣伝フレーズにはいまもそんな言葉が躍るが、いまや東京暮らしの友人のほうが渡航歴9回の私よりインド料理に詳しいし、各国の雑貨も日本で買ったほうがなんなら安い。

 もともと内にこもりがちだった日本人が円安やコロナ禍など山ほどある要因で海外旅行に熱意を抱けなくなったのは理解できる。飽きもせず年に2度は長旅に出る私は周囲から富裕層扱いである(1泊2000円程度の宿を渡り歩き安食堂のローカル飯で過ごすというのに……)。

 だが海外旅行にひんぱんに行っていた時代、人々はなぜ行っていたのだろう? 1ドル200円台のころだって、われわれは涙ぐましい努力でお金を貯め無理して出かけていたはずだ。

 「特にアジアは物価が安かった」うんうん。
 「憧れてたよね」うんうん。
 「未知の世界を見たかったから」それな。

 だがしかし、「憧れ」「未知への興味」をあおって売るには、いま買い手に金がない。なら富裕層に向けて、となるのは分かるが、それは業界内で小さなパイの奪い合いになるだけで、裾野も広がらずやがて市場は縮小していくだろう。

 日本人に海外旅行の素晴らしさをもっと広めたい、と業界の方は誰もが思っていらっしゃると思うが、はてさて、どうしたものか。

【続きは週刊トラベルジャーナル24年1月1・8日号で】

山田静●女子旅を元気にしたいと1999年に結成した「ひとり旅活性化委員会」主宰。旅の編集者・ライターとして、『決定版女ひとり旅読本』『女子バンコク』(双葉社)など企画編集多数。最新刊に『旅の賢人たちがつくった 女子ひとり海外旅行最強ナビ』(辰巳出版)。京都の小さな旅館「京町家 楽遊 堀川五条」「京町家 楽遊 仏光寺東町」の運営も担当。

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