ストレスの忌避

2022.08.01 08:00

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ている。放送開始は1月だが、初めて見たのは6月中旬。もちろん、半年間分のストーリーをスキップして途中参入したわけではない。ハードディスクにとりためた20話近くの録画を順に見ていっている。ひいきにしているプロ野球チームの試合が中継されない日を中心に視聴し、調子がよければ3話4話と見進めて「現実」への接近を試みる。

 これまでの作品よりも短尺になったとはいえ、冗長に感じるオープニングは1.25倍速で視聴することに落ち着いた。実はこの速さの音楽に小気味よさがある。オーケストラが奏でるテーマ曲には途中から勇ましい男性コーラスが加わる。早回しによって得られるその中盤から後半にかけての疾走感にとても気分が上がるのだ。ライブで披露されるサザンの「勝手にシンドバッド」やゆずの「夏色」が、CD音源よりもノリノリのテンポアップで客席を盛り上げるアノ感じに近い。作曲家には恐縮するが、読者諸氏も試されてはいかがだろうか。

 さて、録画を半年分もためたのはなぜか。見始めようという意欲がなかなかみなぎらなかったからだ。原因も認識している。ストレスだ。仕事や家庭に対する不満があって物語に集中できないのではない。ドラマに限らず映画や小説の場合でも、ストーリー冒頭へのファーストタッチそのものに強くストレスを感じてしまう。

 登場人物の関係性を説明的に導入部分で伝えるのはおしゃれではない。だから、それを回避したい作者や演出家の気持ちはわかる。ただ、説明につながるヒントの登場をいまかいまかと待ちながらも、グイグイ物語の世界へ没入させられることへの抵抗が強い。大河のように主人公が明確であればまだよい。群像劇ともなると、筆者のCPUではヒートアップ必至だ。

 振り返れば、その端緒は過去にあった。筆者の子供の頃の遊びといえばテレビゲームが主流。そして、傍らにはゲームの攻略本がいつもあった。ロールプレイングゲームの場合、ストーリーの全体像や主要登場人物の関係性、フィールドのマップ、さらにはプレイ当初にゲットする武器の強さや道具の効用について、本で知識を一通り頭に入れてから電源を入れていた。楽しみにしていたテレビ番組を視聴する時も、タレントがレモンを持つ表紙で有名な情報誌を毎週購読して知識を備えていたものである。

 攻略本は物語の導入部から順を追って記され、週刊の情報誌が紹介するのは番組表を掲載する日の放送内容に限られる。しかしながら、ウェブサイトやSNSが情報入手手段として標準化したいま、それらに接触すると常に最新情報がいや応なしに表示されてしまう。そうなると、日本の歴史を題材にした作品とはいえ一度でも見逃すとネタバレの情報に直面する。そのためオンタイムで見ることができなければ情報を避ける。だから視聴も先送りしてしまう。そんな悪循環からの脱出には強いきっかけが必要だ。

 新しいことを始めるには強烈なストレスを伴う。行き先案内人が導いてくれると不安は解消されるが、根底にある人間の怠惰を癒やすことはできず対症療法にすぎない。番組視聴やゲームプレイのようにサービスを受ける側であればまだ可能なそのような対応も、アウトプットする側となると話は別だ。先のことを正しく認識したうえで適切な説明を適宜施す必要がある。

 界隈が期待を寄せた20年までの「黄金の時間」の輝きは暗転した。流行り病だけではない。危機感と緊張感の留守が拍車をかけた。筆者の背中を押したのはレコーダーの残量不足アラートだった。界隈を突き動かす警告音は聞こえるか。

神田達哉●サービス連合情報総研業務執行理事・事務局長。同志社大学卒業後、旅行会社で法人営業や企画・販売促進業務に従事。企業内労組専従役員を経て現職。日本国際観光学会理事。北海道大学大学院博士後期課程。近著に『ケースで読み解くデジタル変革時代のツーリズム』(共著、ミネルヴァ書房)。

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