旅の高付加価値化

2023.09.04 08:00

 「あなたの会社は富裕層を対象にしているのか」と聞かれる。私たちは社内外で富裕層という単語は使っていない。当社が対象とするのは高品質な旅に価値を感じる方々。対象を富裕層として経済状況だけで漠然と捉えると、本質的な旅の高付加価値化に齟齬が生じる。

 旅に求められる体験価値はそれぞれの人の趣味趣向による。海外の旅行業界では高品質や高価値を求める人たちという意味で「ハイクオリティー・ビジター」(ニュージーランド)、「ハイ・バリュー・ゲスト」(カナダ)という表現を使う。高価格にしないと付加価値を高められないわけではない。日本の旅行会社が発表するツアーは高額でなくても限られた価格幅の中での知恵や工夫が施され、海外の旅行業界では見られないレベルの高い企画が多い。

 旅の付加価値にはお金で買えるものと買えないものがある。後者の方が希少性が高く、旅の価値を高める効果が高い。前者の例は人気のラグジュアリーホテルに宿泊し、プライベートジェットで移動し、予約の取りにくい星付きレストランで食事するというような内容である。

 後者についてはさまざまな取り組みが考えられる。当社のツアーでは旅行中に誕生日を迎える方に夕食のデザート時にバースデーケーキと小さなプレゼントを差し上げ全員でお祝いする。パスポートで生年月日を把握している旅行会社ならではのサプライズ企画だ。さらに発展させ、ネパールのプールサイドでの夕食時に民族舞踊のダンサーがハッピーバースデーを歌い始めると、象が鼻の上にケーキを乗せて登場する演出をした社員がいる。お客さまも大変喜ばれ、全員の思い出になったと感想を寄せられた。

 バイオリニストが同行する欧州のツアーでは、予定されたコンサート会場だけでなく、観光で訪れる教会に先回りして、お客さまの入場時に教会の2階から演奏していただく演出を行い、居合わせた現地の方々と特別な時間を共有した。

 このようなサプライズ企画は現地での人間関係が不可欠となる。数年前、バリ島のアマンを貸切にしてコンサートツアーを実施した。当時の支配人との面談で、私が細かい手配のお願いをして恐縮していたところ、彼は「I love details(私は細かいことが好きです)」と笑顔で返してくれた。日本の格言「神は細部に宿る」と同じ精神を持つ人だと共感した。

 現地では高台にあるホテルの吹き抜けのロビーにピアノを設置して演奏会を行った。その場所が素晴らしかったので、「早朝に朝日が昇るテラスでピアノの演奏とともにヨガをやってみたい」と相談すると翌朝には60人分のヨガマットが敷かれていた。支配人が知り合いのホテルからマットをかき集めてきたとのこと。彼の協力で実現した朝日を感じながらのヨガはお客さまにも忘れられない体験となった。

 記憶に残る旅の大切なポイントはサプライズである。予期しない嬉しいことが起きると、その印象は強く旅の想い出として残る。脳科学の本では、安心できる環境に身を置いた中(安全基地)でのサプライズ(偶有性)は幸せを感じる脳内物質が分泌されるとのこと。旅における安全基地とは旅程管理されたツアー体験であり、偶有性とはその中でのサプライズであろう。

 限られた旅行期間の中で知り合い、意気投合するお客さま同士の出会いも、まさに偶有性としてのツアー価値だと思う。演出としてのサプライズ企画はすぐに陳腐化してしまうので、新たに創造し続ける必要がある。お客さまの喜ぶ姿を想像しながらさまざまな旅の付加価値を考えるのはワクワクする仕事である。

柴崎聡●グローバルユースビューロー代表取締役社長。海外のネットワークから企画が実現した世界初の「ウィーン・フィルクルーズ」はクルーズ・オブ・ザ・イヤー受賞。シェフや音楽家が同行する旅などオリジナル企画を多数実施。カルチャー&ホスピタリティーを念頭に企画から添乗まで現場で陣頭指揮を執る。

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