失われゆく奇跡の市場
2023.04.10 08:00
国土交通省が「アフターコロナに向けた地域交通の『リ・デザイン』有識者検討会」を設置するなど、公共交通網の維持に関心が高まっている。地域の足であり観光の足でもある公共交通はどのような課題に直面しているのか。
わが国は旧国鉄や地下鉄などを除き、地域交通は民間事業者に任されてきた。自治体など公的セクターが経営することが多い諸先進国とは対照的だ。それには2つの背景がある。
まず、阪急電鉄の創業者・小林一三が作り上げた日本型私鉄経営モデルだ。田畑広がる郊外に敷設した鉄道を軸とし住宅開発で沿線人口を増やす。駅前百貨店や終点駅周辺の観光開発(宝塚の温泉、歌劇)といった付帯事業で沿線価値を高めつつ収益も得る。全国の鉄道・バス事業者らはこれをまねて「ミニ阪急」を構築した。
都市部では大手私鉄や系列バス事業者がエリアをすみ分け、地方部では戦時統合を経て各生活圏におおむね1社の体制となった。戦後は公共性を名目に地域独占的に事業免許を与えられた。民間企業だが目先の競争は少なく、むしろ「揺りかごから墓場まで」の生活関連サービスを地域に提供する「地元の名士企業」となっていった。
もう1つの背景が稲作を基層とする社会だ。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ということわざがあるほど、1株のイネに米は多く実る。片やビール系飲料の缶に描かれたムギは金色に実っても直立している。稲作は狭い土地から多くの収量を得て多数の人口を維持できる。
一方で水田を造成・維持するには相当な労働力がいる。その結果、東南アジアや東アジアの稲作地域は人口密度が大きく、またその子だくさんの大家族が総出で農業を営む社会となった。さらに明治以降の150年間で、人口は約4倍に増加。同時に実家に住み農業に携わっていた人たちが進学・就職するようになった。
もともと人口密度が大きく公共交通にとって効率がいい社会であるうえ、明治の近代化、戦後の高度成長を経て通勤通学者が急増した。日本は公共交通が奇跡的にビジネスとして成立してしまった社会なのだ。
それが自家用車普及や人口減少、さらにリモートワーク定着で「奇跡の市場」を失い、地元の名士企業ゆえの各種特権や土地の値上がり神話など付帯事業の「昭和」の好条件も削げ落ちた。社風は保守化し縮小均衡を繰り返した。
もっとも、恵まれ過ぎた昭和の総決算を30年も先延ばししてきたと見るならば、この国の象徴のような話だ。甘い夢の続編を期待し寝たふりを続ける余裕はもうない。
考えれば、鉄道という「線」の周囲に人口を集め周辺事業を収益化する日本型私鉄経営とは、今日でいえばインターネットを軸に経済圏を構築するITベンチャーそのものではないか。もう一度、小林一三の挑戦者精神を取り戻す以外に苦境を突破する術はない。
成定竜一●高速バスマーケティング研究所代表。1972年生まれ。早稲田大学商学部卒。ロイヤルホテル、楽天バスサービス取締役などを経て、2011年に高速バスマーケティング研究所設立。バス事業者や関連サービスへのアドバイザリー業務に注力する。国交省バス事業のあり方検討会委員など歴任。
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