ワンチャンス

2022.12.12 08:00

 昔は観光地でよく撮影を頼まれた。風貌がカメラマンや現地係員っぽいのか、親切そうに見えるのかはわからないけど。観光地の日付入り看板の前で、カップルやご家族のにこやかな姿に向かってシャッターを押すと、たいがい「いかがですか」と返される。自分自身の写真に興味がない私はたいがい断るが、するといつの間にかさらにシャッターを依頼する別の組に声をかけられるというループ状態になっていった。海外添乗で集合写真を撮る際、現地の人にお願いしたらそのままカメラを持ち逃げされそうになった経験も懐かしい。つくづく、旅と写真は切っても切れない関係にあると思う。

 11月の週末の草津温泉に訪れた。列車もバスもほぼ満席。想像をはるかに超える混雑ぶりは、まるで約3年、旅とそこに携わる人々を悪者にし続けたことなどなかったかのようだ。ちらほら見かける外国人も含めみなマスクをしている不思議な光景さえ除けば、だが。

 前から草津は若者が多い印象があったが、本当に若いカップルや夫婦、グループが目立つ。すでに日本の旅行の中心世代は彼らに移りつつある。全国旅行支援の群馬県版は予算が枯渇しほとんどの会社で予約停止中。それでも観光客が集中する勝ち組と負け組に分かれてしまう現実が可視化される。その勝ち組の草津で、決して安くない旅館の宿泊費も、湯畑を取り囲む土産物屋の購買やスイーツ屋の行列も、圧倒的にミレニアルやZ世代、そして外国人が支える。遠い未来だと思った時がすぐそこまで来ている。

 草津定番の湯もみショーで、司会者が「草津初めての人」と問うたら何と圧倒的多数が初草津だった。アクティブシニア、リピーター、どこよりも安く、気軽にいい旅、○大特典付き……使い古されたこれらの言葉にまるで反応しない人々が旅のマジョリティーとなる日は近い。しかし、その変化に対応できる旅行会社や観光地は数少ないかもしれない。

 夜は湯畑や西の河原のライトアップにクリスマスツリー。ただでさえ特徴的なこの風景は、これらの取り組みでさらにフォトジェニックになった。おしゃれな浴衣で勢揃いした女性グループが湯畑の前で記念写真。しかしもはやカメラではなくスマホだし、自撮り棒、もしくはちょうどよい位置にスマホセルフ撮影用の台がある。だから「シャッター押しましょうか」と声をかける必要はない。むしろ不審がられるだけだ。

 若者向けに写真投稿をキーにしたインスタキャンペーン的な仕掛けをする地域が多いが、恐らく彼らの写真の楽しみ方は対極にある。映える風景や食べ物だけでなく、それを楽しむ自分たちが中心。SNSや動画を活用したマーケティングは不可欠だが、彼らの世代の旅行行動の分析はまだやぶの中。観光産業や地域の対応は、シニアマーケットなどに比べ圧倒的に陳腐だ。

 ちなみにいまは「はいチーズ」とは言わず「撮るよ〜」が一般的なのだとか。いろいろ聞いてみたら、何度も撮ってから最適な写真を選ぶので、その1枚にかける思いが薄いからなのでは、と。確かにフィルムの無駄を気にする必用もないし、連写もあれば動画もあるから、スマホのシャッターボタンを押す(ワン)瞬間(チャンス)はさほど大事ではないのかもしれない。一方で、だからこそ撮影は他人には委ねないわけだ。

 ワンチャンスで流れが変わるのが人生であり世の中だとずっと思ってきたけれど、いまはそうでもないかも。でも、小さなワンチャンスをたくさん見逃し、変われてない感じがするのは気のせいだろうか。知らず知らずのうちにすべてが変わり、取り残されるのは怖い。

高橋敦司●ジェイアール東日本企画 常務取締役チーフ・デジタル・オフィサー。1989年、東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。本社営業部旅行業課長、千葉支社営業部長等を歴任後、2009年びゅうトラベルサービス社長。13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長を経て、17年6月から現職。

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