旅館の裏方が回っていた時代

2023.08.07 08:00

 旅館仲間の中には勤務先である旅館と住居が同一、もしくは近接する経営者も多い。私の場合、旅館と自宅は離れていたが、それでも子供の頃は放課後頻繁に旅館に連れていかれ、両親の仕事が深夜に終わるまで館内で時間をつぶしていたものだ。従業員寮では休憩中の住み込みの従業員に遊んでもらっていたりもした。

 いま思えば、そこには借金から逃げて偽名で暮らす人や子供を抱えて家から追い出された人などが何人もいた。コミュニケーションが一切できない人や文字の読み書きができない人、四肢が欠けた人も交ざって働いていた。私は彼らが汗水流して楽しく働く姿を見たり、仕事終わりの彼らに遊んでもらいながら世の不条理さを聞かされたりして、社会がどうやって成り立っているか学んだのだと思う。

 子供だった私には彼らがいくら給料をもらっていたのか知るすべはなかったが、間違いなく待遇は低かったのだろう。当時のことなのでそれなりに不平等や不自由な扱いも受けていたはずだ。しかし、彼らは楽しそうに仕事をしているように見えたし、寝食と仕事があることに常に感謝していた。

 私が見た範囲だけでも、会社は彼らに金銭を貸したり、彼らを追いかけてくる借金取りや行政の調査員からかばってあげたりしていた。子供心に家族のような連帯を感じたものだ。そんな世の中だったといえばそれまでだが、そういう「訳あり」の人たちを受け入れることで旅館の裏方が回っていた時代は確かにあった。

 しかし、いまはそれが社会では許されないことだ。いくら住み込みだからといって最低賃金や時間外勤務のルールを人によって除外することは許されない。これまで社会保険に入れなかった人が就職してきた場合、いまさら加入しても給付される可能性はほぼなかったとしても会社は見逃すことはできない。地域の障害者や知的障害の子、虐待児童などをこっそり受け入れることもできず、関係機関からの紹介や報告が義務となった。採用や雇用は基本的にワンルールなのだ。

 もちろん、ルールが統一されているのは悪質な事業者の排除と、言いなりになりやすい弱者を守るためだ。しかし、現実は必ずしもクリーンな世の中になったわけではない。事業者への義務を増やし、雇用者の管理を厳しくしたことで、上述のような人たちは旅館では働けなくなり徐々に消えていった。彼らは生活保護を受けるか、社会から見えないアンダーグラウンドの仕事に転職していったのだろう。

 昔の雑な雇用形態を賛美しているわけではない。雇用制度の厳格化は税収確保や不正、犯罪防止のために必要だという理解はある。しかしわれわれの業界の人不足はこの頃から始まっていると考えるべきだ。その後も、マイナンバー制度により副業が雇用者にも明らかになるということから夜の街で働く人が減る現象が起こったが田舎の労働力に頼っていたわれわれも同じだ。

 週末だけ「『103万円の壁』までなら家族も認めてくれた」と手伝いに来てくれていた近所のおばあちゃんの勤務時間数も減ってしまった。まだまだ働く意欲と希望を持つ人たちであるにもかかわらず、思い通りに働けない。問題は税制だけではないのだ。

 弱者に優しい世界をつくるため、みんなが働きやすくするためのルールが、結果的に働きたい人を遠ざけ、働けない人を増やしている。以前は地域で自然に構築されていたセーフティーネットがむしろ解体されてしまった。人不足解消へのヒントはこのような過去との比較からも見えてくるものなのかもしれない。

永山久徳●下電ホテルグループ代表。岡山県倉敷市出身。筑波大学大学院修了。SNSを介した業界情報の発信に注力する。日本旅館協会副会長、岡山県旅館ホテル生活衛生同業組合理事長を務める。元全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会青年部長。

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