夢のある旅行業へ

2023.07.03 08:00

 数年ぶりに来日したスイスの友人と湯島の居酒屋で再会した。来年創業100年を迎えコロナ禍でも常連に支えられた居酒屋シンスケでの会話は、老舗ブランドについて考える機会となった。スイス人の彼はプライベートバンカーで、富裕層を熟知。海外からの渡航先として日本がブームになっていることが話題となり、日本の旅行業界が誇るブランドについて質問された。

 国内の旅で人気のJR九州のクルーズトレイン「ななつ星㏌九州」は今秋10周年を迎える。人気は少しも衰えず、今年で23回目の当社のチャーターにはすでに満席の予約が入っている。米コンデナスト・トラベラーのリーダーズ・チョイス・アワードで21年・22年と連続1位を獲得し、いまでは世界中からも注目される。

 私は仕事柄、欧州のオリエント急行やアフリカのブルートレイン、豪州のザ・ガンやカナダのVIA鉄道など、これまでさまざまな国の列車に乗車する機会があった。それぞれ特徴があり素晴らしいが、ななつ星が決定的に優る点がある。ソフトの部分、つまりサービスの品質だ。

 もちろんハードの部分は水戸岡鋭治氏のデザインや職人技による内装など、こだわり抜いた空間は圧巻である。車内で提供される食事も地元九州が誇る名店の匠による妥協のない料理の満足度は高い。しかし私が一番感動したのはクルーの仕事ぶりだ。夕食前のスタッフのブリーフィングでは、提供されるディナーメニューの食材と産地情報、調理方法が説明され、お薦めのワインと銘柄、特徴までが情報共有され、各自がメモを取りながら頭に叩き込んでいた。

 その1時間後にはテーブルに着席しているお客さまを回り、笑顔でサービスしている。食後、停車している駅に降りてみると、同じスタッフが車掌の制服に着替えて車両連結部の確認作業を行ったり、何人かは車両を磨いていた。そのはつらつとした姿が目に焼き付いている。サービスの質は人材による。このようなマルチタスクができる人材がクルーとして活躍している列車は日本以外にはないのではないかと思う。

 日本の船として話題のガンツウは、瀬戸内海の多島美の中をゆっくり航行する「海に浮かぶ小さな宿」として海外でも知名度を上げている。就航した年にチャーターしたが、バイオリニストが乗船すると話したところ、特別にデッキに演奏ステージを設えてくれた。すべてはお客さまのご満足のために、という精神が貫かれている特別な対応に感銘を受けた。

 日本を代表する列車や客船に共通するのは、経営陣の方針が明確で働くスタッフ全員に浸透している点。高いホスピタリティーを実現するサービスの質はマニュアルではなく、携わる者全員にその精神が共有されていることであろう。その心地よい体験が口コミとなり広がっていく。2社に共通するブランド確立の要件は、体験した人の感動が伝わっていく点なのだと思う。

 場所と空間と時間が商品となる旅行に人の感動が加わる。現在、世界から注目される日本マーケットには多様な国際ブランドのホテルが上陸している。同じシンスケのテーブルで歓談したもう1人の友人は、私が尊敬する同年齢の経営者。彼は日本が誇るブランド、帝国ホテルの社長としてコロナ禍を乗り切り、新たに京都での開業や東京の全面新築プロジェクトを掲げて邁進している。

 スイスの銀行家と日本を代表するホテル経営者。共通するのは高い志を持ち、それを実行する姿だ。旅行業は夢のある仕事であることを彼らとの歓談であらためて実感した。私も共に働く仲間たちと夢をかなえる旅行をホスピタリティー事業として実現していこうと意を新たにした。

柴崎聡●グローバルユースビューロー代表取締役社長。海外のネットワークから企画が実現した世界初の「ウィーン・フィルクルーズ」はクルーズ・オブ・ザ・イヤー受賞。シェフや音楽家が同行する旅などオリジナル企画を多数実施。カルチャー&ホスピタリティーを念頭に企画から添乗まで現場で陣頭指揮を執る。

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