生きる知恵としてのクリスマス

2022.12.19 08:00

 欧州での生活も、はや7年。最初は戸惑うことが多かったが、最近はいい意味で私自身ローカライズされてきたのか、あまり物事に動じなくなった。デメリットとしては消費者天国の日本とは真逆の供給者優位であることや、機能面では最低限の用途を満たせばそれで事足りるといったミニマリスト的な発想がなんとも不便なことだ。これらにもいちいち腹を立てることもなくなり、逆にメリットとして行政関連のサービスが対企業・個人ともほぼすべてオンライン化され、非常にスムーズなことだけがせめてもの救いである。

 一方の日本はといえば、相変わらずの完璧主義、間違った顧客至上主義が幅を利かせ、本質的解決より手順や合意形成の優先、形式主義などが本質を見えにくくし、かつ本来の然るべき発展を阻害しているという根本問題に気が付く人も、いまだ少ないままのようだ。

 さて、クリスマスを意識したセールがオンラインでも頻繁に見られる季節になってきた。もともとクリスマスにはどういう意味があったのか少し気になっていたので、地元の利を生かしておさらいしてみることにした。

 そもそもの起源はローマ帝国時代にまでさかのぼり、言うまでもなく元来は宗教的な意味合いの強い儀式である。しかし現在ではどう見てもただのコマーシャル的なイベントとして、あるいはそこから全く違った解釈で世界中に拡散していった様子がうかがえる。

 数年前に知人が欧州に来た際、どうしても本場のクリスマスマーケットを見たいというので、車で出かけたことがあった。ドイツ国境に近いストラスブールの街だった。現地に到着後、夜の街並みを人の流れに沿って歩き出すと、そこはまるで光の街とでもいうべき、あまりの明るさに目がくらむような風景が何キロにもわたり続いていた。

 最初は一体何が起こったのかと、闇夜に目がくらむほどのまぶしさだった。メインの教会広場前にはいくつものテーマごとのマーケットが道沿いの商店や広場を埋め尽くす露天商としてひしめき合い、どの店にも多くの人が群がっていた。特に地元、つまりドイツ国境付近ゆえにドイツ系産物がメインであり、中でもファストフード系の露店はとても人気があった。極寒の冬の夜空にしっかり厚着した人々がホットワインやソーセージ、温かいスープなどに「はふはふ」とぱくついている様は実にほほ笑ましい。

 あまりにこの時のインパクトが強かったので、その後各地、特にドイツのクリスマスマーケットはあちこちと見て回るようになった。

 現在のクリスマスマーケットは中世ドイツが起源といわれる。そしてフランスやイタリア各地でもこれを模倣したマーケットがいまでも多く見られる。クリスマスが冬の極寒期に必須のイベントとなったのは、本来の宗教的な意義から次第に生活防衛のための知恵として欧州全体に広まったようだ。

 1年で最も日照時間が短くなる冬至に合わせ、そこから1日ずつ日照時間が長くなっていくタイミングでキリストの生誕を祝い、生活にも光が増すことを祈ったこと。この2つの光を掛け合わせたイベントとして引き継がれてきたのがクリスマスだと思う。

 つまり、先人があえて一番厳しい季節に創造した生活防衛のためのイベントであり、人々には暗闇が長く続く冬の時期に明かりで街を満たすことで人々の心に光をともしてきたのだろう。夕暮れ時の地元の小さなクリスマスマーケットから漏れてくる光に誘われ、欧州の長く暗く厳しい冬と人間の知恵をあらためてかみしめた。

荒木篤実●パクサヴィア創業パートナー。日産自動車勤務を経て、アラン(現ベルトラ)創業。18年1月から現職。マー ケティングとITビジネス のスペシャリスト。ITを駆使し、日本含む世界の地場産業活性化を目指す一実業家。

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