東京大学名誉教授・JICA特別顧問の北岡伸一氏が世界地図を読み直す

2023.02.06 00:00

ロシアによるウクライナ侵攻や米中対立の先鋭化などによって世界情勢が動揺し、経済環境が激変する中で迎えた23年。政治外交に精通する北岡伸一氏が1月12日に都内で開催されたトラベル懇話会の新春講演会で講演し、ポストコロナの世界情勢を読み解くヒントを提示した。

 20年に広がったコロナ禍は、世界が大きく変わるきっかけになると思いました。さらに、昨年2月にロシアによるウクライナ侵攻が起こりました。20世紀の第1次世界大戦とその後の大恐慌を見ても、世界的な大事件がその後の世界の仕組みを変えてしまうことがわかります。

 第1次世界大戦前はドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国が力を持った時代でした。しかし、第1次世界大戦の結果、これらの帝国が消滅し、代わって米国が台頭。これに伴い、米国を中心とするデモクラシーの世界が構築されると思われました。

 ところが、欧米が大恐慌に見舞われると米国と英国のGDPが半減し、ムッソリーニのイタリアやスターリンのソビエト連邦、アタチュルクのトルコなど全体主義的な国が台頭し、デモクラシーの力は著しく弱まりました。その後、さらに第2次世界大戦が戦われた結果、米国とソ連という2大超大国が出現することになり、冷戦時代が始まったのです。このように世界的な大事件は世界の構造を変えてしまうことにつながります。

 過去の世界的大事件と世界構造の変化を比べて見ると、大事件直前の流れが加速するという共通点があります。その傾向に即して考えると、アフターコロナの世界では中国の台頭がさらに加速し、世界に広がると考えられます。

問題棚上げによる停戦しかない

 ウクライナ侵攻はロシアが悪い。正当化の余地はありません。正邪を問えばそうなります。しかし、西側諸国が賢い対応をしてこなかったことも事実です。ロシアは独特な安全保障観を持っていて、拡張志向がある国として国境線を国の中心からなるべく遠ざけたい考えが基本にあります。そのことを西側はもう一度よく理解する必要があります。

 かつて、ポーランドのミサイル防衛策に対してロシアは激しく反発しました。ポーランドが考えたのは防衛策ですから、ロシアが攻め込まない限り問題は起きないはずなのですが、ロシアは反発しました。04年、ウクライナに西側寄りの政権が生まれたオレンジ革命にも過敏に反応し、天然ガスの供給を絞るなど嫌がらせをしています。そういうロシアの独特な安全保障の考えを甘く見て、ドイツを中心にロシアとの関係を深めた国が多く、エネルギー供給をロシアに頼ってきました。その結果、西欧諸国はエネルギー供給を握るロシアによって揺さぶられ、現在の事態を招いています。

 そもそもロシアは打たれ強い国で底力があり、ウクライナの完全勝利は難しいでしょう。ロシアは最後には核兵器という切り札を使う可能性さえあります。ウクライナの発電施設を攻撃し、冬を迎えたウクライナ国民の生活を破壊しようとしています。もちろん国際法違反ですが、あれこれと言い抜けをしつつ嫌がらせはいくらでもできます。

 このロシアに賢く対処するには、西側としてどうすればいいのか。何とかこの事態を終わらせる方法はないのか。私は問題の棚上げによる停戦しかないと思います。領土の帰属問題や北大西洋条約機構(NATO)加盟の問題はとりあえず棚上げし、20年後の国民投票を提案して両国に停戦を持ちかけるしかありません。

 これができるのは米国しかありません。ウクライナに対して「この辺でやめないか」と停戦を促し、ロシアに対して「ここらで妥協しないか」と説得できるのは米国だけでしょう。こうした難しい外交に必要な力があるのは、米国だけです。

国連に国際世論の形成を期待

 国連は無力だとよく指摘されます。ウクライナ侵攻が始まってからも、安全保障理事会の常任理事国であるロシアの無法ぶりを止めることができない国連について、批判が集まっています。しかし、国連は元来、無力なのです。自前の経済力も軍事力もない組織が力を発揮できないのは、ある意味、当然なことです。

 国連が唯一力を発揮できるとしたら、それは国際世論の形成です。ロシアの核使用の抑止に役立っているのが国際世論です。ロシアもさすがに核使用に踏み切った時の国際世論の反発を恐れて思いとどまっている面も否定できません。

 ロシアが勝手な振る舞いを続けているのは常任理事国の特権である拒否権を持っているからです。この拒否権を剥奪することは、ほとんど不可能です。同じ常任理事国である米国や中国も拒否権という特権を取り上げる前例をつくることには反対です。人道問題には拒否権を行使できない規定もありますが、ロシアは人道問題ではなく正当防衛だと言い張るでしょう。結局、常任理事国である以上、拒否権を使って最大限に自国の主張を押し通すと思われます。

 米国などが掲げる自由や人権の理念は大切ですが、それが満たされない国には制裁を課すというやり方は途上国には嫌われますし、制裁によって最も困難を強いられるのは国の指導者層ではなく貧困層だという現実もあります。

 多少のことには目をつぶり妥協しつつも、いわば「ゆるやかな民主主義」の下で結束するやり方の方が可能性があるのだと思います。

 最後に台湾問題にも触れておきます。中国は今後どう動くか。歴史的に見ると中国は軍事的に慎重な国だといえます。短期間で容易に勝てると判断しない限り、手を出さないでしょう。しかし、何かが起きる可能性は否定できません。その場合、日本は米国と共に戦わなければなりません。台湾と日本と米国の足並みがそろわなくては中国に付け込まれます。また日本は自分で自国を守る姿勢を示す必要があります。ウクライナを見てもわかりますが、その国の人たちが必死で戦う姿勢を見せることが国際的な支援につながります。

 また、専制主義国家ではトップに不都合な情報が入りにくくなり、間違いを犯しやすい面があります。実際にプーチンは誤りを犯しました。そういう意味で習近平との首脳会談はとても重要です。正しい情報を直接提供できるのは首脳会談しかないからです。

きたおか・しんいち●東京大学法学部卒、東京大学大学院博士課程修了(法学博士)。立教大学教授、東京大学教授、国連大使などを歴任し、国際協力機構(JICA)理事長を経て22年4月からJICA特別顧問。主な著書に「世界地図を読み直す:均衡と協力の地政学」(新潮社)など多数。

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