タッチというニッチなニーズ
2022.04.04 08:00
PCR検査を受けた。といっても新型コロナの確定診断ではなく、濃厚接触認定のためでもない。理事を担う学術学会の会長からお誘いを受け、北海道で行われる例会へ出席することとなった。それに際して、陰性の検査結果を受け入れ先へ通知する必要があった。
人生初の受検とあって界隈の情報を調べると思わぬ発見があった。まず都民なら当時無料での検査が可能。検査場は生活圏内にいつの間にか相次ぎオープンしており、そのラインナップは多施設展開が目覚ましい事業者の実施拠点から地域の小規模クリニックまで多彩。それに、ウェブサイトでの予約に始まり当日の検査オペレーションや結果通知に至るまで、受検したK社のシステムは体系的に設計され一連の体験は極めて快適だった。パンデミック以降無縁だった世界線への関与はとても新鮮に思え、その進化の度合いは妙に感心させられた。
陰性確認の翌日に飛んだ先は紋別。流氷観光やホタテの水揚げ量で名高い他方、昨今小さな注目を集める話題がある。それは「紋別タッチ」。地元新聞では度々取り上げられているものの、全国的にはコアな航空ファンやANAの「修行僧」にしか知られていない。頻繁に特定の航空会社を利用するリピーターは専用の保安検査場が使え航空機への優先搭乗が可能で、さらには手荷物制限が緩和されるなどの特典を享受できる。そうした上級会員向けの権利を獲得するために時間や金銭、体力を消耗してまで、到着地で観光や宿泊をせずマイレージを稼ぐため搭乗に専念する。一般的には「苦痛」といえるそうした行動を重ねることは修行と称され、その愛好家は修行僧と呼ばれる。目的の空港に到着後、同じ飛行機で出発地へ戻ることがタッチで、オホーツク紋別空港は羽田からのタッチの聖地と化していた。
効率性を鑑みれば、タッチ滞在先での待ち時間の短い折り返しダイヤや、少しでも安価な費用で多くのマイルを獲得できる路線が好まれる。基点が東京の場合のタッチ先として、海外はシンガポール、国内は那覇が定番だった。では、なぜ紋別か。修行僧たちの音声SNSに紋別の宿泊業者が偶然飛び入り参加して話が盛り上がり、それ以来メンバーが訪れるたびに彼女は空港で出迎えるようになった。その歓迎の意がいつしか空港スタッフや地元観光団体へと拡大することで修行僧と受け入れ側による交流の輪が広がったのが一因とされる。
羽田を日曜日にたつ2日間の旅程において、往復それぞれの便で5人ほどの同年代と思われる修行僧を目撃した。彼らは相互に修行日程を情報交換しているようで、「紋別タッチ Superfly」とプリントされたお揃いのTシャツを冬でも着用しており一目で判別できる。今季最後の観測に賭ける流氷ツアーご一行のシニアたちとのミクスチャーは独特の雰囲気を醸していた。
現地での3本の研究発表のうち1本が当該紋別タッチに関する事例報告で、マニアの投資意欲やニッチなニーズが持つパワーの強さというものをあらためて痛感することとなった。昨年末にリベンジ消費なるキーワードが注目を集めたものの期待薄から鳴りを潜めたなか、「推し活」は業界を問わず沸騰し続けている。
ところで、筆者もタッチ修行の経験者である。出張や添乗での搭乗実績が認定基準まであとわずかと知ることで、10年ほど前に足を踏み入れてしまった。国境の島・対馬では警察官から売人を疑う眼差しが向けられ、伊丹を出て羽田に着陸する前に「伊丹空港へお乗り継ぎのお客さま」とのアナウンスでどよめきを呼んだ。解脱したいまとなってはいい思い出だ。
神田達哉●サービス連合情報総研業務執行理事・事務局長。同志社大学卒業後、旅行会社で法人営業や企画・販売促進業務に従事。企業内労組専従役員を経て現職。日本国際観光学会理事。北海道大学大学院博士後期課程。近著に『ケースで読み解くデジタル変革時代のツーリズム』(共著、ミネルヴァ書房)。
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