ソーシャル・ディスタンス

2020.05.25 08:00

 不自由な日々が続いている。政府の緊急事態宣言から2週間が過ぎ、本稿を書いている。「STAY HOME」が合言葉になり、繁華街からも観光地からも人の影が消えた。いまや世界中の航空便は人を乗せることはなく、胴体の下半分の貨物室の荷を運ぶために細々とわずかな便が飛ぶのみだ。いくつかの航空会社は破綻した。新幹線のご利用も1~2割程度、成田エクスプレスは所定のダイヤで走り続けてはいるがその座席の主となる空港利用者はいない。

 テレワークという馴染みの薄い働き方にみな戸惑い、順応できるはずのないことに何とか合わせようと四苦八苦している。唯一の娯楽は近所のジョギングか散歩、そしてマスクと消毒液を求めてドラッグストアを巡るショップホッピングか。TVのワイドショーではコメンテーターの姿が1人、2人と消えていき、画面のその先のもう1つの画面の中から有益かどうかはにわかに判断しがたい話が延々と繰り返されている。

 人と会えないことがどんなに苦しいことか。世界中の誰もが思い知っているだろう。医療現場の現実を見ればその気持ちを爆発させることができない。しかし、この不自由な生活も時間とともに慣れ切ってしまった時、人と人とのコミュニケーションのあり方は確実に変わる。それが企業や社会活動にどのような影響を与えるのか。

 医療現場に駆り出されることもマスクの生産に携わることもないし、生産的でない会議やハンコを押すだけの仕事と会合やパーティーがなくなった分、時間はふんだんにある。初めて経験するこの騒動が明けた後、何をどのようにするのが世のためなのか。この機会に何を変えられるのか。真剣に考える時間にしなければならないと思う。

 ひいきにしていた飲食店や旅館の経営者、私の講演を聞いて地域の活性化に熱い思いをたぎらせ、実際に地域で観光や産品の活性化に汗を流す方々の悲痛な叫びが聞こえる。彼らの後ろには何百、何千という従業員や協力者がいる。食材を提供する一次産業やその加工業者もみな疲弊している。ねぶた祭りも阿波踊りも中止になった。そのイベントの設営や運営が糧の地域の業者はすでに青息吐息だ。インバウンドで新境地を切り開こうと登場した多くのスタートアップ企業も、いまはそれどころではない、と顧客からの手のひら返しにあって身動きが取れない。

 誰かが大変なのではなく、誰もが大変。震災や台風のような自然災害と決定的に異なる点だ。どこから救えばいいのか、何から手を付けていけばいいのか。被災した地域への送客やイベントが一定の効果があったあのころとはまるで違う何かを生み出さなければ。まずは1兆5000億円を超える政府の経済対策が確実に必要な形で必要なところに行き渡るよう、知恵を絞ろう。

 フェイスブックで流れてきた「コロナ支援訳あり商品応援」ページがある。4月9日に開設され2週間足らずで25万人以上がフォローしている。生産者や加工業者、休業を余儀なくされた飲食店などがフォーマットに従って支援してもらいたい内容、商品と価格、販売方法、写真をアップするだけ。そこに登録されているものが飛ぶように売れるさまも確認できる。こうして人と人がダイレクトにつながっていく状況を目の当たりにすると、その間で何かを制御しないと始まらないわれわれの出番が消えていく危機を感じる。

 新型コロナ対策に必要とされる人と人の距離(ソーシャル・ディスタンス)。それが当たり前になってしまったら、もともと心の底から本当につながっていなかった人とは恐らくもうつながらない。そして、つなぐことができなかったらわれわれはもう生き残れない。だから、こんな時でもとにかく何かでつながなければ。

高橋敦司●ジェイアール東日本企画 常務取締役営業本部長 チーフ・デジタル・オフィサー。1989年、東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。本社営業部旅行業課長、千葉支社営業部長等を歴任後、2009年びゅうトラベルサービス社長。13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長を経て、17年6月から現職。