キャパシティー

2024.03.18 08:00

 2月後半、天皇誕生日の3連休の北海道釧路市。流氷をはじめとした冬のコンテンツのピークとあってホテルは満員。宿泊代金も感覚的にはいつもの倍といった感じ。2基しかないエレベーターは大きなスーツケースの外国人観光客でなかなか部屋にたどりつけない。幣舞橋から釧路川へと沈む夕陽は見事だった。橋にはその瞬間を待ち望む多数の観光客。これもほとんど外国人。かつて完全なるオフシーズンだったはずのこの地にこのにぎわいがもたらされていること自体、隔世の感がある。

 なじみの炉端焼き屋はウェブでの予約システムを導入した。当日キャンセルやノーショーは4000円のキャンセル料を取るという。1年前にはなかったことだ。さらに2年前、この店のみならずすべての店は固く扉を閉ざしていた。ふらりと現れる客は予約がないと断る。それだけでも結構な手間ではないかと思うのだが、実際この日は予約客で長い時間満席が続いていた。

 「予約されてますか」。この言葉を飲食店で聞く機会は格段に増えた。静岡のおでん屋に熊本の屋台、かつて予約はおろか電話すらつながらなかった店が予約を取る。慣れればこちらのほうがはるかに都合はいいだろう。店にとってはもちろんだが、遠来の客にとっても。

 テレビで紹介された店に行列覚悟で出かけ「臨時休業」の看板を見るがっかりさ。行列する自分の少し前で品切れになってしまう残念さ。列車や飛行機の時間を気にしながら味も分からずかきこむ地元の名物。こうした出来事は知らず知らずのうちに旅の楽しさを半減させる。行き当たりばったりも旅の楽しみではあるけれど、我慢と引き換えにしてまで得るものではないだろう。

 かつての上野駅。東北へ向かう夜行列車が次々と出ていた頃、その列車を待つ人々は昼から行列していた。列車ごとの待合看板を先頭にゴザを敷いて。乗客の多くはそこで酒盛りを始める。「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」と石川啄木が詠んだ光景。なぜそうだったのかといえば、当時の列車は寝台車など一部を除き、多くが自由席だったからだ。

 この年末年始から東海道新幹線「のぞみ」はピーク時に全車指定席となった。3月からは全国で多くの列車が全車指定へと切り替わる。1965年、東海道新幹線が開業した翌年の乗車人員は年間約3000万人。いまでは1日当たり最大43万席という驚異的な供給力となった。その座席のために長時間並んでいただくことを長年当たり前としていたのは列車の予約というアクションのハードルの高さによるところが大きい。いまやそのハードルも格段に下がった。飛行機は原則予約だし、駅の観光案内所で当日旅館を予約するような旅もあまりないだろう。

 予約という行為を通じて得られるのはお客さまの可視化だ。かつてインバウンドの戦略を立てる自治体と議論した時に「外国人観光客〇万人」という目標を立てるに当たり、そもそも地域の宿泊施設に何人泊まれるかを把握していないことがあった。実際には地域の宿泊数を超える宿泊客は来ないし、1日のスープの分量を超える客をさばけるラーメン屋はない。宿が泊食分離をしても、その分受ける飲食店がなければ意味がない。

 オーバーツーリズムはなぜ起こるか。人が行く所に集中してしまうSNS時代特有の事情はある。でもせめてキャパシティーをコントロールできさえすれば。一次交通、二次交通、宿、観光施設に飲食施設。これらのキャパシティーを相互につなぎ、実際にその地で受け切れる観光客数の上限は、と考える地域は少ない。データとデジタルはこの分野に大いに生きるはずなのに。

高橋敦司●ジェイアール東日本企画 常務取締役チーフ・デジタル・オフィサー。1989年、東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。本社営業部旅行業課長、千葉支社営業部長等を歴任後、2009年びゅうトラベルサービス社長。13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長を経て、17年6月から現職。

関連キーワード