いつかきたみち

2022.07.18 08:00

 駅まで来て財布を忘れたことに気づき、家までの道を引き返す。いま歩いてきたばかりの道を引き返すのはとてもおっくうなものだ。

 旅もまた、できることなら同じ道を通らない方がいい。オープンジョー、すなわちサメが口を開けるかのごとくAからB、CからAという、到着地と帰路出発地が異なる旅程は、航空機では運賃規則にもあらかじめ設定されている当然のことである一方で、鉄道は往復割引が適用されるのも単純同ルート往復のみ。旅行会社のパックの割引運賃も、個人旅行であっても永らく団体旅行の概念で定義されていたこともあり極めて自由度が低かった。いまではダイナミックパッケージの導入などで柔軟性は高まっているものの、誰もが思いつきそうなA→B、C→Aの旅程で予約できないものはまだ多い。

 19年に日本初の観光型MaaS「Izuko」を立ち上げた時、事前の課題設定のために得たデータによると、伊豆を公共交通機関で訪れる観光客の多くは伊東や下田といった温泉地の旅館に滞在し、翌日周辺の観光施設を訪れることなく帰路に着くという。この場合、彼らのデスティネーションは伊豆ではなく、泊まった旅館のことだ。

 古くはお伊勢参り、高度成長期の大阪万博、教育旅行の奈良・京都に至るまで、日本の国内旅行の歴史はモノデスティネーションの歴史。慰安旅行的な団体旅行も、まずは宴会ができる旅館の場所から決め、後からその旅館の近辺で行けそうな観光地を入れていった。ハワイやニューヨークなどを除けば普通に一方通行の旅程が組まれる海外旅行とは異なり、日本人の国内旅行があまりダイナミックにならないのはこうした歴史によるところが大きいかもしれない。

 東京から大阪に行って、沖縄に飛び上海へ行く、そんなインバウンドツアーの旅程を聞いてびっくりしたのが懐かしい。これだけ交通機関が発達したのに、何も変わってないのはわれわれ自身だった。広域観光の概念が定着し、誰もがそれに異を唱えなくなっても、染み付いた2地点直行行程がいまも頭から離れない。

 着地観光や体験型ツアーのコンテンツやサイトが充実しても、アプローチである一次交通やターミナルとの関係性がまるでわからないから行程が組めない。二次交通に至っては数少ない列車との接続を考慮せず、ただ走っているだけのものも数多い。レンタカーも車不足と免許を持たない若者の増加で、かつてほどのマジョリティーにはならないかもしれない。

 複雑なバリエーションは不要だ。フランクフルト空港からローテンブルクを経てノイシュバインシュタイン城に至る、のような、誰もが思い浮かべるルートを気軽に個人で旅行できるようにすればいいだけの話。MaaSアプリや電子チケットはその手段だが、これもまた手段先行といういつか来た(き)道(みち)を繰り返している。

 インバウンドが解禁されて半月、6月中旬に発表された予約状況はわずか1300人。自由時間もない添乗員付きツアーのみでビザも必要、ついでに法律で定められたわけでもないマスクまで必要。かつて1日10万人を超える外国人が入国していた日本の、なんともやるせない現実。この状況でインバウンド回復に期待、と手放しで喜ぶのはおかしい。いつ、かつてに近い姿に戻すか、示すべきはベクトルと時間軸ではないのかと思う。

 日本が本格的にインバウンド増加の恩恵を受けた理由の1つはビザ発給要件の緩和だった。まさか、この期に及んで「これからのインバウンドは個人旅行が主流」と言わなければならないことはないだろうけど。歩いてきたばかりの道を引き返すのはおっくうなものだ。

高橋敦司●ジェイアール東日本企画 常務取締役チーフ・デジタル・オフィサー。1989年、東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。本社営業部旅行業課長、千葉支社営業部長等を歴任後、2009年びゅうトラベルサービス社長。13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長を経て、17年6月から現職。

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