はつてんのち
2022.04.18 08:00
旅行会社で仕事をしている(た)人間同士でしか成立しない会話はいろいろあるが、その中の1つに「初添(はつてん)の地(ち)はどこ」というのがある。初めての添乗、略して初添ツアーの場所がどこだったか、どういう経験(たいてい失敗談)をしたかという武勇伝、もしくは苦い思い出話は業界定番ネタである。
入社して駅での勤務からまだ1年もたっていない私が突然異動を命じられたのは、将来の関連事業の柱と期待された旅行業の中でも海外旅行事業を検討するという、できたばかりの組織。航空会社ユニットを使って自前の海外旅行ブランド「びゅうワールド」を立ち上げ、実際にオペレーションもしていた。海外旅行経験のまるでない駅の旅行センター「びゅうプラザ」の社員をハワイで研修するプログラムなども作った。
JRはドメスティック企業だが技術関連で特に欧州との結びつきが強く、役員社員の海外業務渡航や研修旅行も多い。ノウハウを蓄えるため、それまで他社にお願いしていたこれらも内製化することになり、私が手配を担当することになった。ある日、関連団体の役職員を数回に分けて海外研修するという話が飛び込む。行き先はポーランド。そしてそこが私の初添の地となる。
ベルリンの壁が崩壊したのが私が入社した1989年、それから3年たっていなかった。ポーランドについて旅行会社として得られる情報は皆無。ランドオペレーターもロンドンと北欧の伝言ゲームで心もとない。現地に精通する日本人を窓口にツアー内容の検討を進め、当然直行便はなかったので往路フランクフルト1泊、帰路パリ1泊、それ以外は首都ワルシャワと古都クラコフに滞在する7日間ツアーの骨格ができあがる。
空港のどこにどんなバスが来るのかもわからない。ホテルの部屋は、レストランは、食事は。例えばハワイであれば日本にいながらにして十分確認の手立てがある。空港の見取り図もなくドキドキしながらワルシャワの空港に降り立った。クレジットカードも支払いに使えないということで大量のドル建てのトラベラーズチェックを携えて。
行ってみれば大多数は杞憂に終わった。彼らにとっても初めてに違いない、多数の日本人の団体を迎えることに真剣に向き合ってくれた。ホテルは米系チェーンで不自由は全くなかった。ジャガイモと肉、時々魚という感じではあったが、料理も美味しい。そしてクラコフの大学で日本語を学んだという若い女性のガイドは完璧。
旧市街がそのまま残るクラコフ、対照的に戦争で破壊された旧市街をれんが1つから当時のままに再現したワルシャワ、いずれも魅力的だった。主たる目的である鉄道員との交流も、まるで数十年来の友人のように話が弾んだ。そして、ポーランド最大の観光資源アウシュビッツ収容所。人間が犯した歴史上最大の過ちを無言で訴えかける、その姿は圧倒的だった。
添乗に必要なのは羊飼いの極意。初めての地域でも慌てず、決してお客さまの前で不安な顔をせず。ただほんの少しだけお客さまより先に行動してこの先に起こることを察知して素早く笛を吹く。ベテラン添乗員に後から教わったこのことがよくわかった。初めての場所かどうかは関係ない。それからの私にある種の度胸がついたのはこの経験からだといまさらながら思う。
あれから30年、再び耳にするポーランドの国名が、戦禍から逃れる隣国ウクライナの人々の避難先になるとは。いつも神の見えざる手は人間の想像を超えてくる。いつも人間は歴史から学ぶことなく、時がたつにつれその愚かさをさらけ出す。こんな21世紀になるとは思わなかった。
ツーリズムは平和産業、その矜持はどこへ。
高橋敦司●ジェイアール東日本企画 常務取締役チーフ・デジタル・オフィサー。1989年、東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。本社営業部旅行業課長、千葉支社営業部長等を歴任後、2009年びゅうトラベルサービス社長。13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長を経て、17年6月から現職。
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