ジンカイセンジュツ

2021.06.21 08:00

 ゴールデンウイークに北関東のとある公営の観光施設を訪れた。昨年とは異なり、道路は渋滞しそれなりに賑わいを見せていた。復活したというにはほど遠いが、特に地方の多くの人が観光など、もうどうでもいいと思っているかもしれないなかで、人が動き、その人々を迎え入れるという交流の本質の糸が細くつながっているだけでも少しほっとする。

 さて、その観光施設。入り口にマスクをしたジャンパー姿の市の職員が立っていて声を掛けられる。氏名と住所、連絡先の記入を求められた。聞けばこの施設で万が一クラスターが発生した時に備えて記録するのだという。台紙に一葉につづられた紙へ記入する。その紙には申し訳程度に個人情報については厳正に管理する旨の注意書きが書かれている。

 頭がくらくらした。陽気のせいではない。これが日本の情けない現実だ。記入を求める職員のこの先の仕事を想像してみる。おそらくこの連絡先台帳なる一葉の紙類は、日ごとにまとめられて市役所のどこかに保管されるのであろう。よほどのことがなければ使用されることはないが場所は取る。時間の経過とともにそれが何であるか忘れ去られ、ぞんざいに扱われ、やがて個人情報として紛失か流失する。

 あるいは、そんなリスクをあらかじめ予期し、この膨大な紙のデータを「デジタル化」しようとする。そこには残業しながら職員が懸命にエクセルに打ち込む姿が見える。そのデータもまた、県から市からと記入者がランダムに記載したフォーマットのまま入力されるから、いざという時に検索すらできず、役に立たない紙のデータと大して変わりない。せめて郵便番号欄があればいいのにと気づいた時にはもう遅い。懸命に入力したエクセルファイルも、ファイル名や保存方法をあらかじめ決めていなかったため、箱に入れて保管するのと同じようにそのうち忘れられる。目的と業務量が極めてアンバランス、そして大きなリスクが伴うことを認識していない。

 オンラインで予約した時に入力したにもかかわらず、日本の多くの宿でチェックインの際に再び住所・氏名の記載を求められるのは、旅館業法で「営業者は、(中略)宿泊者名簿を備え、これに宿泊者の氏名、住所、職業その他の厚生労働省令で定める事項を記載し、都道府県知事の要求があつたときは、これを提出しなければならない。」(第6条)と定められているからだ。この宿帳はまさに感染症対策のために求められているもので、記載事項は条例で区市町村が決められる。例えば新宿区では「前泊地」「行き先地」の記載も義務付けられているため、そのフォーマットにのっとって整備されなければならない。

 非接触のオンラインチェックインが話題になれども全く主流にならないのは、法的にこの宿帳を電子化してもよいと誰もはっきり言わないからだ。東京ディズニーリゾートが現在自社サイトからの予約でしか入場を認めていないのに、自治体が管理する施設でそれができないのは「ネットができない人」への公平性を担保する意味もあるだろう。ではなぜ日本と同じく高齢化の進む中国が、ほぼすべての行政サービスをスマホのアプリのみで済ませるようにできているのだろう。

 いま、コロナワクチン接種のロジスティクスの多くを各地で旅行会社が担っている。この厳しい状況のなかで活用できるリソースを最大限生かしてほしいと願う。コールセンターがパンクしサーバーがダウンする、まるで何かのツアー予約時に起こしたような記憶が蘇ることがなきよう。いわんや、とりあえず人海戦術(ジンカイセンジュツ)だとならぬよう。業界の未来がかかっている。

高橋敦司●ジェイアール東日本企画 常務取締役チーフ・デジタル・オフィサー。1989年、東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。本社営業部旅行業課長、千葉支社営業部長等を歴任後、2009年びゅうトラベルサービス社長。13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長を経て、17年6月から現職。

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