20歳年を取った日本で

2024.05.13 00:00

 24年中、つまり今年のどこかで日本人の中位年齢が50歳に到達するらしい。つまり、国民を年齢順に並べた時にちょうど真ん中に位置する人が50歳だということだ。世界初の事態であり、少子化、高齢化の段階を示す指標がまた1つ増えることになる。1975年の中位年齢は30.6歳だったので、ほぼ50年で日本人は20歳大人になったことになる。ちなみに全世界の中位年齢は30.9歳で、特に人口増の著しい中央アフリカではウガンダが16.7歳、ナイジェリアで18.1歳など若者が中心の国になっている(20年時点、総務省)。

 少子高齢化問題はあちこちで取り上げられているのでいまさらここであらためて問題点を考察する必要はないが、このデータからあえて今回1つだけ語るとするならば、20歳年を取った日本でいまの社会を維持するために、現在の50代が社会に求められているのは50年前の30代の働きであり、70代には昔の50代の行動が必要だということだ。

 昔の年寄りは悠々自適で隠居もできてうらやましいと言われることもあるが、平均余命も上がっており、その分昔の人より人生を享受できるのだから70代の役割も変わるのは当然だ。少なくとも、勉強しなくても誰かがやってくれるという考えは捨てなければならない。例えば省力化のために導入される病院でのタブレットでの入力や、通販でのネット決済などを「面倒なので代わりにやってくれ」などと言っていられる状況ではなくなるということだ。

 50代はもっと厳しい。昔であれば定年も近付き、会社でも徐々に楽な仕事にシフトしていた年齢だ。それが昔の30代同様に働けというのは酷ではあるが、その分元気なのだからまだまだ活躍するしかない。昭和のマンガである磯野波平が54歳、バカボンのパパは41歳の設定だがいまどきの50代は外見からして全く違う。

 では、その下の世代の人生はどうあるべきなのだろう。さらに昔、若者は元服をもって大人として扱われた。年齢は一定ではなかったが11~12歳のケースもあったようだ。社会に出る上で覚えることが増えるに従い20歳が成人年齢となっていたが、いまでは法律上は18歳から大人扱いしようとむしろ逆行している。

 しかし本来であれば人生が長くなり、人生を歩む上で必要な知識や経験がさらに増えているのだから子供扱いする期間はもっと長くてもよいのではないか。かといっていつまでも親のすねをかじるというのも非現実的なので、せめて教育を終えた後も社会が一定の補助をして5年や10年程度は若者に対し、知識を得て見分を広げる機会を与えても問題ないように思える。

 フリーターでもワーキングホリデーでもよい。起業して、たとえ失敗したとしても取り戻す時間に充てられる。一生をかけて取り組む仕事を見つけるのは30代からでも十分だろう。それでも70代までたっぷり40年間はあるのだから。

 孔子は「吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」と残したが、現代ではそれを20年とは言わないまでもせめて10年ずつ後ろ倒した方がしっくりくる。還暦でも第一線に立つ人がほとんどなのに、達観され聞き分けが良くなられても困るのだ。

 昭和の社会システムのままでは、若者が社会に出たら60年間働けという社会になってしまいかねない。年金や介護の苦労をかけることが確定的な若者に対して、せめて少しの余裕を与えてあげることはできないものだろうか。

永山久徳●下電ホテルグループ代表。岡山県倉敷市出身。筑波大学大学院修了。SNSを介した業界情報の発信に注力する。日本旅館協会副会長、岡山県旅館ホテル生活衛生同業組合理事長を務める。元全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会青年部長。

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