外部経済と付加価値
2023.11.20 08:00
温泉地として名高い佐賀県嬉野温泉でティーツーリズムと称する観光コンテンツが注目を浴びている。眼下に嬉野の街を望む高台にある茶畑に設置された舞台で、白いコックコートに身を包んだ茶師が3服の茶を入れて茶菓子と共に提供する。茶師を務めるのは茶農家だ。さすが茶農家だけあって嬉野茶を知り尽くしている。
茶葉の性質に合わせた適切な湯の温度設定にもこだわり、嬉野茶の歴史や文化、地質・地形のストーリーテリングも秀逸。地元の肥前吉田焼の器やリーデルのワイングラスで提供される一連の価格は1人1万5000円。1服5000円の計算になる。高価格でありながらコロナ下の22年に500人を超える集客があり、今年も順調に成長している。
イノベーションの主役は若き茶農家と旅館経営者たち。きっかけは旅館業を営む和多屋別荘代表の小原嘉元氏と大村屋代表の北川健太氏が茶業青年会リーダーの副島仁氏に出会ったことだ。16年に旅館内で茶農家が茶師として嬉野茶を振る舞うイベントが初の協業となった。都会の高級ホテルの価格帯を知る小原氏は一服1500円の単価を提案したが、旅館での無料提供が常識と思っていた茶農家は懐疑的だったという。間を取って一服800円で販売したところ、日を追うごとに盛況となり期待以上の成果を収めた。茶葉100gで500~1000円程度の単価が導入以降3~5gの茶葉で3000~5000円程度になり、茶農家の生産性は大きく向上した。
お茶を高付加価値へ変えた要因は何か。調査の結果、農業の観光多角化、茶の流通の創造的破壊、高価格帯のニッチ市場参入の3つの要因があることが分かった。詳しくは拙著論文『観光の高付加価値化とイノベーションの発生・発展の要件に関する考察―嬉野温泉ティーツーリズムにおける農業と観光業の協業を事例に-』をご覧いただきたいが、強調したいのが3つの要因の基盤となる農業の多面的機能がもたらす外部経済の存在だ。
外部経済とは経済活動の費用や便益が取引当事者以外に及ぶことを指す経済学の用語である。農業は単に農産物を生産するだけではない。美しい農村景観や食文化など文化的価値、生物多様性を保全する環境価値、水質浄化や土壌浸食防止など多面的機能がある。茶畑景観、コックコートを着て物語を語りながらお茶を入れる行為は、茶を生産し流通させる従来の茶農家に利益をもたらさない。
しかし、茶農家と観光業が協業し観光商品化したことで美しい茶畑景観、茶生産の長い歴史や文化性、土壌や気候など地域性、茶農家の生産技術や知識が外部経済となって付加価値を創出した。すなわちティーツーリズムとは農業の多面的機能がもたらす外部経済を内部化した観光商品なのだ。
茶農家に無価値だった農業の多面的機能に観光的価値があることを発見したのが若き旅館経営者だった。聞けば同じ地域にいながら話す機会はなかったという。仲介したのが地域おこし協力隊のよそ者であったことも重要だ。イノベーションは業界の枠を超えインフォーマルなネットワークから生起する。決して行政やDMOが主導する会議や研修で生まれるものではないことを示している。
鮫島卓●駒沢女子大学観光文化学類教授。立教大学大学院博士前期課程修了(観光学)。HIS、ハウステンボスなど実務経験を経て、駒沢女子大学観光文化学類准教授、同大教授。帝京大学経済学部兼任講師。ANA旅と学びの協議会アドバイザー。専門は観光経済学。DMO・企業との産学連携の地域振興にも取り組む。
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