まだ見えぬターニングポイント
2022.10.31 08:00
「観光産業のひとつの大きな回復の節目の日になる」。政府による観光需要喚起策「全国旅行支援」が始まり、入国者の水際対策が大幅に緩和された10月11日。冒頭に記した一節は国土交通相による当日の閣議後の記者会見での発言だ。本稿はその当日に執筆している。傍らのテレビに目をやると、情報番組では旅行アナリストなる人物が「支援策のお得な使い方」を熱心に解説している。彼はここ数日朝から晩まで各局をはしごして出演するほど多忙らしい。なるほど裾野の広い産業とあって特需の恩恵を受ける職種もさまざまなのだと理解がはかどった。
ユーチューブでも公開数日で万単位の再生数を稼ぐ解説動画が散見されることから、当該支援策は第三者による丁寧な説明や解説を伴わずして生活者へ周知するには困難な仕組みといえよう。ただ、いざ予約しようとしてもサーバーがダウンしたり動作が不安定になったりと、初日から方々の申し込みサイトで不調が発生した。加えて、需要に応じた価格設定を「便乗値上げ」と抗議する声が聞かれ、物価高騰で困っている人の負担を見直さず観光産業ばかり優遇するのはおかしいとの論陣も張られ続けて久しい。本筋からそれる議論とはいえ、行政が唱える「旅行者にとってストレスフリーな旅の環境整備」はこうした現象を概観しても道半ばに感じざるを得ない。
他方、今日という節目の日を経営陣は大歓迎しているに違いない。実際、支援策開始について所感を問われた宿泊業の役員が、己のニヤつきを隠すことなくその効果を期待する発言をしていた。確かに数字面での立て直しには大きな効果が見込める。ただ、臨戦態勢の実務担当者がそのニヤつきを見ればしゃくに障って仕方なかろう。
「怒涛の初日」を終えた旅行・宿泊業の担当者に話を聞くと、顧客や社内の営業パーソンからの相次ぐさまつな問い合わせにへきえきとし、予約の洗い出しや確認作業といった膨大な業務量に終わりが見えないことで皆がすっかり疲弊しきっていた。現場へハッパをかけにでも行けば、お偉い方であってもブチギレられること請け合いだ。当該制度設計者に向けられた実務者の怒りは、文字にするのを躊躇するほど相当なものであることを付け加えておく。
制度導入に関わる追加業務は、担当者にとって手間や面倒に過ぎない。なにしろ、それによって得られる会社の利益や自身の待遇改善といったリターンが不明瞭なのだ。実働部隊の負担をいかにマネージするかは事業執行上の大変重要な問題といえる。残念ながらその点においては、GoToの時と同じ轍を踏んでいるようにみえる。大変なストレスを抱える実務者が、旅行意欲を向上しつつある生活者へストレスとは無縁な対応で旅を提案できるだろうか。いまのままではどだい困難と言わざるを得ない。
今般の制度で好意的に捉えられるのは、支援上限額が抑え気味なことだ。GoToで社会においても広く話題となったような、中・高級宿泊施設の客層が大きく入れ替わるという可能性が低いのは安心材料だろう。現場スタッフに聞くと、客層が変わることに伴う普段とは異なる対応による精神的負荷はとても大きいという。
コロナ禍以降、若年層の離職が止まらない。宿泊業の企業内労組7組織5402人を対象に当法人が3月に実施した意識調査では、3人に1人がいまの会社で勤続する意思を持ち合わせていないことがわかった。他業種と比較するとその回答率はダブルスコアだ。次の節目にこそ、いまの需要回復を追い風に成長産業へと脱皮したいものだ。目先のばらまきが消費者にとどまらず働き手に悪影響を及ぼす可能性を想像してほしい。
神田達哉●サービス連合情報総研業務執行理事・事務局長。同志社大学卒業後、旅行会社で法人営業や企画・販売促進業務に従事。企業内労組専従役員を経て現職。日本国際観光学会理事。北海道大学大学院博士後期課程。近著に『ケースで読み解くデジタル変革時代のツーリズム』(共著、ミネルヴァ書房)。
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