オタクの困惑

2022.09.12 08:00

 アニメや漫画の「オタク」の祭典として知られる世界最大規模の同人誌即売会「コミックマーケット」が8月に開催された。1975年からおおむね年2回開催、3万サークル以上の出展と75万人の入場者を集めるまでになっていたがコロナ禍で2回の中止を余儀なくされ、今回は17万人の人数制限を行い無事に終えることができた。一般の人でもわかるほほ笑ましいコスプレの数々が紹介され、明るいお祭りであることを再認識した人もいたことだろう。

 オタクとはアニメなどのサブカルに漬かる人を指す俗称で1980年ごろには使われていた。イベント等で隣に居合わせた初対面の相手に対し「お宅は誰のファンですか?」などとコミュニケーションを始める習性から名付けられた。「オタク族」は相手の名前を知らなくとも、年上年下、性別、出展者か一般客かなど、属性を気にすることなくすべて二人称を「お宅」で統一させていたのだが、同じ趣味の同志が集う場という条件下では、名乗る必要もなく上下を気にすることもないフラットなコミュニケーションを実現していたことになる。

 これは現代のSNSなどで見られる、互いに匿名性を保ちながら広くつながりと情報を求める世界と同じ思想だ。いまより情報量も少なく、年功序列の色濃かった80年代の社会において、すでに令和的な人間関係や情報収集体制を構築できていたのだ。つまりオタクとは本来、見ず知らずの人が相手でも社交的に振る舞える性質の人を指しているのであり、決して引きこもりや内向的な人のことではない。

 しかし、世の中のオタクに対するイメージは真逆だ。そのきっかけは89年に逮捕された宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件だろう。逮捕後の家宅捜索で6000本近くのテレビアニメや特撮のビデオが押収されたことでアニメ好きは空想と現実の区別のつかない犯罪者予備軍というイメージがついてしまった。

 冒頭に書いた「コミケ」も、会場を取材したレポーターが来場者を前に「ここに10万人の宮崎勤がいます!」と発言したといわれるなど(真偽は不明)、オタクが世間から奇異の目で見られる象徴的なイベントとなってしまった。翌90年には1人のタレントが「宅八郎」と改名しブレイク。彼の衣装や言動が戯画的にオタクを演出するためにダサく陰鬱なものだったことから、不健全でコミュニケーション下手だというオタク像が一般に確立してしまった。

 ここまでくるとオタクのネガティブなイメージを払拭することは難しくなり、近年になっても例えば2017年に座間市で9人が雑害された事件では当時の国会議員が「アニメの影響を受けたせいだ」と発言したり、19年京都アニメーション放火殺人事件でも「アニメファンは何をするかわからない」などという論調が見られたりするが、もちろん根拠のない指摘だ。

 文学作品にも映画にも昔から刺激的な描写は多くあるが、そこから知識を得ることと影響を受けて罪を犯す行為は当然直結していない。もしアニメだけが犯罪に直結するのであれば、テレビアニメのタイトル数は50年で10倍に、アニメの市場規模は20年で倍増しているのに、殺人事件の被害者数はこの50年間減少し続けていることの説明がつかない。

 一方で近年ではアニメや漫画を「クールジャパンの旗手」と持ち上げ、文化面と産業面から評価しようとする動きが活発化し、作品に講釈を求められる古くからのオタクは困惑気味だ。オタクが気の置けない仲間と趣味の世界に没頭できる日はもう少し先になりそうだ。

永山久徳●下電ホテルグループ代表。岡山県倉敷市出身。筑波大学大学院修了。SNSを介した業界情報の発信に注力する。日本旅館協会副会長、岡山県旅館ホテル生活衛生同業組合理事長を務める。元全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会青年部長。

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