10年前

2022.03.14 08:00

 「タイムマシンで10年前に戻って自分に教えてあげたいこと」というテーマで思索することがあるがこれが案外難しい。100年前の人に対して未来人が語るのは簡単だ。聞く側が想像つかない話ばかりなので未来の素晴らしさを一方的に話せるからだ。しかし、2012年の世の中はそれほど昔ではない。前年に東日本大震災を経験し、スマホはすでにiPhone5。東京スカイツリーも開業し、暗いムードと明るいニュースが混在する、そんな時代のつい最近の私に対する耳打ちだ。過去の自分が納得するように丁寧に話す必要がある。

 コロナ禍の話をしても、SF小説に登場する殺人ウイルスがまん延する世界とはかなり様相が違うので、いくら頑張って話しても10年前の私は首をかしげるだろう。日本は念願のオリンピック誘致に成功するが1年延期してさらに無観客開催になる。などと理由を交えて説明してもきっと一笑に付されるはずだ。

 当時はまだ趣味のロードスター1車種しか発売していない米国の新興自動車メーカーが世界の電気自動車市場を牽引し、時価総額が1兆ドルを超えたとか、日本では半導体が作れず、輸入も滞り自動車も電気製品も減産しているとか、シャープが外資系企業になってマスクの生産で名を馳せているとか、実業家トランプが大統領になったが再選はされなかったとか、ゴーン氏が国外逃亡しているとか、預言者としても全く相手にされないレベルだ。

 このように、過去の人に未来の事象を話してもちぐはぐになってしまうが、社会ムーブメントについてはどうだろう。ジェンダー問題は10年前でもすでに大きなものとなってはいたが、まだマイノリティーの権利主張的に捉えられていた。環境問題も10年前はまだ二酸化炭素一辺倒で取り組みも惰性的だった。これらはどちらもSDGsという新しい器に内包されることで人類の議論の中心に座っており、今度は企業も家庭も無視できないレベルに育ちつつある。これは何となく伝わるかもしれない。

 後戻りしたこと、変わらないことで驚かれることもあるかもしれない。例えばQRコードによる決済がキャッシュレスの中心に台頭していると話しても、10年前の私には退化と感じるだろう。利用者にも手間を強いるし、国際的でもない。FeliCaのようなタッチ決済より技術的には後退だ。実際に使ってみなければメリットはわからない。電気自動車を超える未来の自動車と期待されていた燃料電池車も現時点での状況はご承知のとおりだ。

 変わらない代表格はやはり規制だろうか。住宅宿泊事業法が施行され民泊は解禁されたが、旅館業法や旅行業法は国際化とは無縁の規制が書き連ねられたままだ。10年前にはライドシェアのウーバーの上陸を待ち望んでいた人も多かったが規制でかなわず、いまの日本ではウーバーといえば食事のデリバリーを意味する。

 恐らく10年前の私が最も知りたがるだろうインバウンドについて、その後の過熱と蒸発を一気に説明するのは難しい。当時まだ国民の中に多くあった嫌悪感は薄らぎ、理解はそれなりに進んだとくらいは教えてあげようか。

 その理由の1つとしてスマホのさらなる普及により環境が大きく変わったこともある。外国語の要求も少しの手間でまあまあ理解できる日本語に翻訳され会話もできる。道案内も不要になった。それなのにインバウンド受け入れのテーマがいまになっても「外国語表示を充実させましょう」というのが中心なのは10年前の人から見ても不思議な停滞に思えるに違いない。

永山久徳●下電ホテルグループ代表。岡山県倉敷市出身。筑波大学大学院修了。SNSを介した業界情報の発信に注力する。日本旅館協会副会長、岡山県旅館ホテル生活衛生同業組合理事長を務める。元全国旅館ホテル生活衛生同業組合連合会青年部長。

関連キーワード

キーワード#永山久徳#新着記事