デービッド・アトキンソン氏が語る「富裕層観光に取り組むべき理由」

2021.12.06 00:00

富裕層旅行市場専門のBtoBプラットフォームを主催するラグジュアリージャパン観光推進機構(www.ljtm.org)は10月20日、デービッド・アトキンソン氏を講師に迎え、富裕層観光戦略ウェビナーを開催した。その講演内容を採録する。

 最初に観光戦略がなぜ重要なのか、その理由をもう一度考えていきたいと思います。戦後の日本経済は順調に伸びてきましたが、1993~94年ごろからは停滞し、ほぼ横ばいです。大きな要因の1つは人口の増加が止まったことです。さらにこれからの40年間を見てみますと、生産年齢人口といわれる15歳以上65歳未満の人たちは3000万人近く減っていきます。

 日本の観光産業との関係でいうと、これまでは主に生産年齢人口を対象として成り立ってきた歴史がありますが、人口減少により国内観光客数はどんどん縮小していきますので、産業の行く末の選択肢は2つしかありません。次々と廃業して規模を縮小していくか、日本人の代わりに外国人客に来てもらって、日本の観光施設等を継続的に活用していくかですが、日本は非常に多様性に富んだ文化、歴史、気候、自然などに恵まれ、さまざまな観光資源がたくさんあり、それらを生かした観光戦略によって外国人観光客の誘致拡大を図るべきと考えています。

 国内外からの外国人観光客の誘致によって日本の観光産業を支えることができるということが私の考え方の出発点となっていますが、日本の観光をめぐる環境は、日本人にとっても相当不満があるのではないかと思います。例えば外国人観光客のためにという名目で開発に取り組んできたナイトタイムエコノミーですが、これを一番多く利用しているのは実は日本人です。

 これまで日本人にはそういったニーズはないと思われてきたのかもしれませんが、単なる思い込みによる機会損失ではなかったでしょうか。日本人客・外国人客というような分け方をせずに、誰であっても面白いもの、面白いサービスであれば、それを消費したい人は非常に多いはずです。

 もともと日本の観光産業は多くの人数を比較的安い予算で大量にさばくようなところから始まっているわけですが、観光戦略のステップアップの一例としてバリ島を見てみましょう。ここにアマンリゾートが着目してホテルをつくる前はバックパッカー的な人たちの旅行先でした。

 次第に人気が高まりホテルが建つようになりましたが、アマンリゾートが富裕層向けのホテルを建ててからは次々と高級ホテルが開発され、いまではなんと42軒もの5つ星ホテルが存在しています。ちなみに米国には700軒以上の5つ星ホテルがあり、欧州の国々では200~300軒程度が一般的です。それに比べて日本は手元にある直近のデータではわずか32軒しかないのです。

1~2万の宿にあまり泊まらない

 日本の5つ星ホテルの数はバリ島というたった1つの島以下ですので、日本の観光戦略もまずは下の方から基礎固めをして、それからだんだんに上に向かっていこうという考え方でした。最初から富裕層への対応に言及していなかったのは、私の認識では日本国内には富裕層ビジネスを展開していくための基礎的なインフラができておらず時期尚早だと考えたからです。そのため、戦略立案より先に、もっと現場に近いようなところでの問題解決に取り組みました。

 例えば、かつて成田空港などの入国審査場で外国人向けの案内板には「Aliens」などと書かれていて、外国人客を歓迎して誘致を図ろうというような雰囲気ではありませんでした。また、外国人の方だけ長蛇の列ができているのに、それを解消するための何の対応もしてくれないというようなことがあったのです。

 それ以外にもあちこちで、Wi-Fiがないとか和式トイレしかないとか、さまざまな問題がありました。これらを解決しないままでは、どんなに立派な外国人客の誘致戦略を掲げても机上の空論にすぎませんので、現場に近いところでこれらの問題を次々と解決してきました。

 神社仏閣や国立公園、博物館や美術館等での解説案内板の不備という問題もありました。また、プライベートジェット機で来日しても、その出入国管理に特別な対応がないことも問題でしたが、これは専用の手続きルートを作ることで解決しました。さらにホテルの質についての問題があります。ラグジュアリーホテルの富裕層ビジネスに取り組んでいますと、富裕層の方から「そんな安いホテルには泊まりません」などと言われた苦い経験は何度もあります。

 どんなに面白い、素晴らしい観光体験ができたとしても、1泊1万円や2万円のホテルには泊まってくれません。1人当たり1日で何十万円や数百万円を使う富裕層の人に、その程度の金額を言っても相手にされないのです。1日8時間以上滞在することになるホテルの質の向上は非常に大きな問題ですが、改善に向けた取り組みが進められていると聞いています。

 コロナ禍後のインバウンドの見通しについての世界観光機関(UNWTO)の予測を見ますと、3年後ぐらいで観光収入は元に戻り、コロナ以前を3~4%ほど上回るとの推計です。ただし人数はその時点では以前の8割強ぐらいにしか戻らないと見ています。人数は元通りには回復しませんが、平均単価が上昇することによって観光収入としては増加する予想になっています。

 背景には2つの理由があり、1つは物理的な問題、例えばクルーズ会社や格安航空会社の倒産・廃業などで輸送力の供給が制限され元の人数を運ぶことはできないというものです。その場合、マーケットのマスの方は元に戻りにくいものの、単価の上の方になればなるほど回復が早いとの見方で、富裕層を中心にアッパー、ミドル層からインバウンドが再開されるという予想です。

 今後の観光戦略について簡単に言えば、マスの時代は完全になくなり、ミドルからアッパー、ラグジュアリー層に向けての取り組みが非常に重要視されることになると思います。

鍵を握るのは設備でなく人

 富裕層戦略はどうやって実行していけばよいのでしょうか。例えばホテルについて言いますと、日本国内にはまだ、秀逸な富裕層向けのホテルは存在していないと考えています。それに近いものはありますが不完全で、国際標準には達していない。富裕層ホテルはその上位になればなるほど客室数が少なくなるのは常識です。最たるものでは10室、20室ぐらいしかないのです。しかし残念ながら日本の不動産デベロッパーの場合は200室以上のホテルを作ろうとします。富裕層ホテルのような雰囲気を目指してはいますけれど、本物の富裕層は200室もあるようなホテルには泊まりません。

 もう1つの問題点は設備に対する考え方です。日本では、シャンデリアがあって大理石をたくさん使った造りなら富裕層ホテルだというような大きな勘違いをしている人が少なくありません。3つ星ホテルと5つ星ホテルの最大の違いは何かというと、当然ながら一定以上の設備があるかどうかが基準の1つとなっていることは事実ですが、究極における最大の違いは人です。設備ではありません。そこで働いている人々のレベルの高さ、お客さまへの対応能力、提案能力が十分であるかというようなことが基準になります。もちろん、そういう人材を雇用するために、それなりのコストはかかります。

 富裕層の方から高い金額をいただくためには、それを正当化できるだけの対応が求められます。例えばルームサービスではメニューに載っていないものでも、何時でも可能な限り何にでも対応する。旅行先でのアクティビティーなどでも、リクエストに対して「そういったことはやっていません」などと言うことなく最善を尽くし、それについてきちんと対価をいただくというのが本物の富裕層への対応です。そしてそれらの実現には、それなりの人材が必要だということです。

 また、地方においては富裕層を誘致し、地元の文化や食事、素晴らしい日本の自然などを存分に味わい、できるだけ長く滞在してもらうことで、その対価を活用して、それらの財産を保存・継承していける効果があります。そして、そういう旅行ニーズは日本人にもあるはずです。現実には日本人による長期滞在旅行はあまり行われておらず、地方のホテルの稼働率を見れば平日はほとんど人がいない状態です。

 しかし、いわゆる現役世代であればともかく、いまは現役世代の半数ぐらいに相当するリタイア層がいますので、この人たちをなぜ動かすことができていないのかは謎です。そういう人たちを動かすためにはより高度なサービスが必要になりますが、動いてもらえるような観光地、観光施設、観光戦略を作ってこなかったのは最大の謎であり最大の失敗だと思います。

 国籍を問わず、より長く国内の観光地を楽しんでもらえる魅力的な施設やサービスを作り、それなりの単価をいただいて地元に還元し、レベルと持続性の高いサービスを提供することで、国内の観光はさらにレベルアップして発展していけると私は確信しています。必要なコストはそれほど大きなものではありません。大切なのは、一番コストをかけるべきは人材ということです。ちなみに世界においては、富裕層の観光客、インバウンドの人数のたった1%の人が観光収入全体の2~3割を占める国も多々あるのです。

 そういう意味で日本の観光戦略は、やっと一番頂点の、ある意味でビジネスとして一番おいしいところを開拓するようなところまで来ました。富裕層ビジネスの鍵はすべてにおいて人間対人間、実際にサービスを提供する人のレベルをどこまで高め、どこまで丁寧に対応できるかが最も問われるところであることを理解したうえで、富裕層ビジネスに挑戦して、さらに素晴らしい日本の観光戦略を共に作っていけたらと思います。

David Atkinson●オックスフォード大学(日本学専攻)卒業後、大手コンサルタント会社やゴールドマン・サックス証券会社を経て、09年に小西美術工藝社取締役に就任。11年代表取締役会長兼社長、14年から現職。これまでに内閣官房成長戦略会議、観光戦略実行推進タスクフォース等のメンバーを務める。

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