性悪説と経済成長

2021.11.22 08:00

 欧州に最初に仕事で来た際、パリのスーパーで万引き犯と疑われたことがあり、当時は大層面食らった記憶がある。若かったこともあるが、その時の驚きと憤慨は悪い意味で新鮮だった。一瞬でフランスが嫌いになった。いま思えばなんともないことである。

 欧米人は基本的に人を疑う。当時はそれを知らなかった。社会の仕組みが性悪説に基づいているのだ。よって、それをいかに効率よく発見して防止するかという視点でルールが作られている。バスも電車も改札時のチェックはなく、誰でも自由に出入りすることができるが、万が一、不正乗車を発見されると、故意だろうがうっかりだろうが罰金は時に十万円単位となる。

 特にイタリアは厳格な印象がある。これでは悪いことなどしようがない。道路の速度違反の取り締まりは危険な箇所に集中的に設置され、たった1kmオーバーしただけでも、2週間もせずにしっかりと証拠記録付きで反則切符が自動的に郵送されてくる。隣国での違反であってもだ。実に迅速である。欧州では飛ばし屋やその類いの事故はほとんど見られない。

 一方で日本ではどうだろうか。日本の社会は一般的に極端な性善説に基づいている。だが、その割には決めごとが細かすぎて効率が悪い。田舎を除いては電車の改札チェックは厳格であるし、時刻表も無意味なぐらいに正確すぎる。出社時のタイムスタンプなど欧米では見たこともない。このように、すべてに厳格な管理をする国は実は世界にはあまり存在していない。逆に厳格すぎて相当効率が悪い。無駄な努力が実に多いのだ。

 昔は細かい管理が当然だと思っていたが、なぜそうなったのか、それが当然とされるのか、最近はいろいろと疑問に思うことが多くなった。外から日本を見るようになったからであろう。

 この問題の本質はどこにあるのだろうか。それはずばり、目的が何であるかだ。つまり、ルールそのものを作り、守らせることが目的なのか、それとも何のためにルールを作ったり、守らせたりするのかである。

 欧米では性悪説を前提にして、それをさせないためにどうするかという視点でルールがある。一方で日本では性善説の前提にもかかわらず、先に細かいルールを作って守らせようとする。必然的にルールを守ることが目的になりがちだ。欧米では少しぐらい手順などが違っていても、目的にかなっていればOKとされ、ある意味柔軟性がある。

 実はこの違いは企業の成長過程でもよく出てくる現象だと最近気がついた。出来たてのベンチャーの頃はルールなどほとんどない。なぜなら、会社の成長と存続に経営陣もスタッフも一丸となり、常に必死であるからだ。これが成長して部署が分かれ、自分の役割が狭まってくると、ルールの方が目的より大事になってくる。守りに入るのだ。それは自分の仕事じゃないので、ということが始まる。目的達成のために力を合わせるより、自分の出世や評価の方が大事になる。

 日本はなぜかいつからか守りに入ってしまった国なのだ。恐らく高度成長期の後からではないだろうか。だから現代の日本はめっきり成長できなくなってしまったと大局的には分析している。政府も残念ながら起業経験者はほぼいないせいか、卓上の理論での成長戦略で実効性がない。外部からコンサルを呼んだぐらいで成長できるなら、どんな会社も苦労はしない。もっと世界の実態に目を向け、なぜ日本でGAFAのような成長企業が出てこないのか、大きな視点からの規制改革やルール改正がいま最も重要だ。

荒木篤実●パクサヴィア創業パートナー。日産自動車勤務を経て、アラン(現ベルトラ)創業。18年1月から現職。マー ケティングとITビジネス のスペシャリスト。ITを駆使し、日本含む世界の地場産業活性化を目指す一実業家。

関連キーワード