ベネチアにて
2024.05.20 08:00
4月の土曜日、ベネチア・サンタルチア駅に降り立った。夕焼けに赤く染まった運河とサン・シメオン・ピッコロ教会は駅の正面で出迎える。唯一無二の風景はまさに世界に冠たる観光都市の玄関だ。
その世界一ともいえる観光地がオーバーツーリズムにあえいでいる。殺到する観光客が社会問題と化し、登録こそ見送られたがユネスコから危機遺産への勧告がなされた。対策の1つとして週末の日帰り観光客に対し町への入場料として5ユーロが課せられることになった。その発動日のちょうど1週間前の週末。果たしてオーバーツーリズムの本場とはどのようなものなのかを見ながら過ごしてみた。
有名なスポットであるサン・マルコ寺院やリアルト橋はまさに人、人、人。はやりの「消しゴムマジック」を使ったところで消せるようなものではなく、写真を撮れば必ず人混みが映り込む。目抜き通りは土産物やジェラートを売る店が連なり、行列して何かを買い求め食べ歩きする人々。レストランもみな、外の席でアペリティーボ(食前酒)を楽しむ人でいっぱい。夜はバーの外まで立ち飲みする若者であふれた。
道路がないから車もなく、モノを運ぶのも救急車もみな船。公共交通はヴァポレットと呼ばれる水上バスのみ。まさにバスのように複数の路線が運河を行ったり来たりしている。その時刻や乗り場は正確にグーグルマップで表示された。24時間有効のICカードを買えば面倒なことは何もなく、乗りこなすのに全く不都合はない。水上から眺める美しい風景を楽しむ満載の観光客の陰で地元の方が肩身狭そうに船に乗る。
夕方、再び駅へ行くとミラノやフィレンツェへと向かう列車に乗り込む人々で混雑していた。ミラノからは高速鉄道で約2時間半。島にあるホテルは限られ、多くの人が泊まることはできない。だから日帰り客が多いのは納得がいく。中世の街が残される都市はイタリアにはたくさんあるが、迷路のように張り巡らされた水路と橋、街歩きや食べ歩きが楽しめるまるでテーマパークのようなコンプレックスは他にない。石畳のあちこちに吸い殻が落ちている。駅前のゴミ箱はプラスチックカップや空き瓶などであふれかえっていた。
京都に照らし合わせてみよう。新幹線で東京から2時間。いち早くグーグルマップで複雑なバス路線と乗り場を捕捉した。やがてそれが観光客のバスへの集中を招き、1日乗車券の廃止や地下鉄乗り継ぎの逍遥という利便性とは逆の対策を強いられることになった。清水坂や先斗町に祇園、京都ならではの風情ある街並みには人が殺到し、それを目当てにした新興店舗がアイスや団子を振る舞い、ゴミの山が残される。
なるほど、そう考えるとオーバーツーリズムとは唯一無二の観光地に課せられた共通の宿命なのかもしれない。美しい風景をSNSにアップし、道をスマホに尋ねるデジタル社会がその沸点を高めた。ベネチアもかつては教会や美術館をじっくり見る観光客が主流だったという。京都や鎌倉もしかり。短時間の滞在で写真を撮り食べ歩きをする人々は最近新たに現れた観光客のカテゴリーと整理すれば合点がいく。
翌朝7時半。あれだけあったゴミは奇麗に片づけられていた。水が打たれた石畳は朝日に照らされ美しく輝いていた。「Keep Venice Clean」のサインを掲げた台車の周りでひと仕事終えた清掃員が休憩している。みな笑顔だ。京都もまた市民に「門掃き」を推奨している。観光公害という言葉は使われなくなったが、観光客への視線は日々鋭くなっている気がする。ベネチアの街を歩いてもそう感じなかったのはなぜだろう。
高橋敦司●ジェイアール東日本企画 常務取締役チーフ・デジタル・オフィサー。1989年、東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。本社営業部旅行業課長、千葉支社営業部長等を歴任後、2009年びゅうトラベルサービス社長。13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長を経て、17年6月から現職。
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