うえをむこう
2023.01.23 08:00
新しい年になった。帰省や初詣の混雑が普通にテレビで流れる年末年始。しかし、気にすればするほど、それが異様に見えることには変わりない。紅白歌合戦で美空ひばりの名曲「お祭りマンボ」を歌う坂本冬美のバックで踊る全国各地の祭り人も、箱根駅伝の沿道の観客も、皆マスクをしたままだ。視聴率が低下したとはいっても国民の3割以上が同時にこのメッセージを受け取る。その影響たるや計り知れない。結局われわれはまだ何も取り戻せていないまま、また新しい年を迎えてしまった。
歩いている時に道端に落ちていたガムを踏むのは嫌なことだ。だがもしそのガムを踏まないように歩くとすれば、終始下を向いて歩きながらアスファルトの路面を見続ける必要がある。その間に上から何か落ちてくるかもしれないし、前から来る人にぶつかり自分や相手がけがをするかもしれない。それもまたリスクだ。ガムを踏まないための最適な方法は歩かないことだが、そうするわけにもいかない。
新型コロナウイルスの日本の死亡率は0.0019%(死亡者数/累計感染者数、1月2日厚生労働省データ)。この間、「リスクに対して全体的な視野を持ってどのように対応し、発生した際のマイナスの影響をどのように抑えていくのかを考える」(日本リスクコミュニケーション協会)という、いわゆるリスクコミュニケーションの概念が全く用いられることはなく、日本の将来を変えてしまった罪は大きい。しかし無為な時間で失ったものは、もはや同じ時間をかければ取り戻せるほど甘くない。何がファストパスなのか、何が変革の鍵なのかを少しでも早く見つけて手を打つ年にしたいと思う。注意深く慎重に、ではなく。
訪日外国人数が3100万人を超えていた19年。その時のことを思い出してみよう。日本の各地がインバウンドを当たり前のように受け止め、おもてなしの技を磨き、受け入れの仕組みを作っていった。さまざまな表記を多言語化し、ビジュアル化し、多様な食文化に対応し、それでいて日本らしさを表現するさまざまなコンテンツを作った。地域によってはオーバーツーリズム問題も発生したが課題解決のためのさまざまな議論がなされ、取り組みも行われてきた。
こうしたことの多くは袋に入れて棚にしまわれているか、すでにどこにしまわれているかわからない状態の地域もあるに違いない。だからすべてやり直し。失った時間を取り戻すのは大変だと思うのは、その頃の思いを持つ人が相当数いなくなっていることをコロナ禍の中、各地を歩いて実感したからだ。地域差も含め、まずはその肌感覚をデータにしたほうがいい。みんな、たった1つのリスクに対応するため依然下を向いて歩いていたりしていないだろうかということを。
20年以上前の渋谷スクランブル交差点の写真が出てきた。何かがいまと違う。マスクかな、と一瞬思った。でも違う。誰も手にスマホを持っていないのだ。心なしかほがらかな笑顔で、あるいは隣の友人と談笑しながら歩く人々。
いまは電車に乗ってもみな下を向いてスマホばかり見ている。だから電車の広告は誰も見ていないとまで言われたりする。もちろん、手をこまねいているわけではなく、乗換検索で「新宿~恵比寿」と検索する人には新宿や恵比寿のお店の広告を乗車中にスマホに流す、みたいなことは当たり前にできるようにはなったが、何か足らない気がしてならない。
昔は「涙がこぼれないように」するためだったけど。そもそも幅広い視野も多くの情報も、下ばかり見ていて得られるわけがない。マスクはさておき、とりあえず上(うえ)を向(む)こう。
高橋敦司●ジェイアール東日本企画 常務取締役チーフ・デジタル・オフィサー。1989年、東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。本社営業部旅行業課長、千葉支社営業部長等を歴任後、2009年びゅうトラベルサービス社長。13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長を経て、17年6月から現職。
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