くやしさをわすれたか

2020.08.17 08:00

 7月の4連休の仙台の夕方。七夕祭りも中止になり、駅のコンコースには七夕の吹き流し飾りとともに「来年はみんなで会いましょう」の大きなバナーフラッグが揺らいでいる。新幹線は満席とまではいかないが、窓際がほぼすべて埋まるくらいにはなった。エキナカの牛タン屋と寿司屋が並ぶ通りには行列も。こうした光景を見るのも久しぶりだ。駅前から続くアーケード商店街もまた多くの人だ。誰もがマスクをしていることを除けば、いつもの光景に見える。

 しかし、人混みをよくよく見ればみな軽装で手ぶらの若者ばかりだ。連休といえばキャリーケースを転がす観光客が目に付くはず。その姿が異様に少ないことに気づく。店舗で人が出入りしているのは洋服や雑貨のお店で、笹かまぼこなどの土産コーナーは閑散としている。飲食店もみな地元の人々のような感じがする。近隣から観光と経済を回していく、マイクロツーリズムとはこういうことか。一瞬すべてが戻ったかのような錯覚に見えるこの光景に目を細めるわけにはいかない。人口減少を補うための観光という経済学的視点で考えれば、インバウンドを含め遠来の客が落とすお金こそが地域を救うはず。それがいま、まったくないことを忘れてこの光景が日常になることは十分に恐れる必要がある。

 仙台は日本でも少なくなった横丁文化が残る街。なじみの横丁へと土砂降りの雨の中、歩を進める。新幹線の車内誌でも取り上げられた横丁は、やはりかつての賑わいを取り戻しているかに見えた。早い時間だから満席にはならないが、どの店にもそこそこ人はいる。懐かしい気持ちになりふらふら歩いていたら、ある店にこんな貼り紙が。「東北6県以外のお客さまは来店ご遠慮ください」。注意して歩くと、同じような貼り紙は複数の店頭で見つかった。一方で「東京のお客さまも大歓迎」と書いてある店もある。

 急にドキドキしてきた。私の背中にどこから来たとは書いてないし、店に入ってもそれを証明せよとは多分言われないだろう。でも、なんとなく巡る気が失せて早々にその場を離れる。こうした時に頼りになるのはチェーン展開している寿司屋。温かく迎えてくれたがいつものように職人がフレンドリーに喋りかけてはくれない。話の流れで私がどこから来たのかわかってしまうと困るのだろうか。だから鮨もあまりうまく感じられない。会話するというのは重要なことだ。

 東北の三陸沖で発生した大地震、津波、そして原発事故。あの時、日本中から東北のすべてが風評被害を受けた。被災どころか揺れすら東京よりも小さかった秋田や山形の庄内地方も含めて。食べ物は海のものも山のものもすべて忌避され、原発から遠く離れた場所の津波のがれきですら東北というだけで日本の各地での処理を拒まれた。海外からは東京ですらも人が寄り付かない日々が続いた。欧州の航空会社の便はしばらくの間、東京を避け関西や中部へ路線を移した。あの時の、絶望的とも思えた日々が蘇る。いろいろな思いが複雑に交差して、人間の一番嫌な部分がひょっこりと表に出た。あの悔しさはもうみんな忘れてしまったのだろうか。

 誰を責めるわけでもない、何がいけないという話ではない。人と人が行き交い、地域と地域を結ぶことで相互の理解を図るのが観光の本質。マイクロツーリズムも必要だけど、胸を張って日本中に世界中に地域の素晴らしさを伝え、お迎えし、そしておもてなしをしようとずっと言ってきた。あれから10年、たくさんの人が行き交うようになった。それも全部リセットなのか。もうそんなものは必要としない新しい日常へと本当に変わるつもりなのか。

高橋敦司●ジェイアール東日本企画 常務取締役営業本部長 チーフ・デジタル・オフィサー。1989年、東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。本社営業部旅行業課長、千葉支社営業部長等を歴任後、2009年びゅうトラベルサービス社長。13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長を経て、17年6月から現職。

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