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概要

TJ20140616_BN

[PR]1989~2000ベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統一で旧東圏の観光ラッシュ、150万泊を突破2001~2009天災・事件による低迷期、ドイツ年とワールドカップ開催で一時的活況2010~2014/15日本市場の低迷からの脱出、そしてドイツ統一25周年へ 1989年11月9日、東ドイツ市民による武器を持たないデモ行進の広がりを受け、ベルリンの壁が崩壊。翌90年10月3日、東西ドイツ統一が成し遂げられた。以降、ドイツ観光局は、ベルリン、ドレスデンなど、旧東圏の都市の観光プロモーションに着手。当初はPR活動など無縁だった現地担当者との折衝に右往左往したという。94年には旧東圏を盛り込んだ「ゲーテ街道」プロモーションに着手、ドレスデン、ライプツィヒ、ワイマール、フランクフルトなどを巡るルートを旅行会社に訴求した。旧プロイセン王国の古都ドレスデンをはじめ、ベルリンやポツダムなど、日本人には戦前の良き時代を思わせる素材が豊富だったこともあり、統一ドイツへの関心は拡大を続けた。 ミレニアムを迎えた00年、日本人宿泊数が過去最高の153万3817泊を記録した。この年は、ハノーバー万博が開催されたほか、「ドイツにおける日本年」「ロマンティック街道50周年」「バッハ没250周年」など、さまざまな分野で記念の年で 01年以降は米同時多発テロ、アジアでのSARS流行、08年のリーマンショック、04年にはエルベ川氾濫でドレスデンに被害が出るなど、大規模な天災や事件が続き、海外旅行市場全体にとって受難の時期に突入。そんななか、05/06年日本におけるドイツ年と06年サッカーW杯ドイツ大会関連のドイツプロモーションで、一時的な需要喚起に成功。06年は年間138万泊と歴代2番目の結果を残した。06年のサッカーW杯に伴うPR効果は絶大で、W杯を境に今後行きたい旅行先として、ドイツがコンスタントに上位にランクインするようになった。 日本全体が伸び悩むなかで、着実に成果を上げているのが、 11年3月の東日本大震災は、ドイツへの旅行需要に影響を及ぼすことなく、再び宿泊数が増加に転じ、90年台後半の好調な時期の水準にまで戻りつつある。ただし、外国人旅客によるドイツ国内の総宿泊数は、00年の約3700万泊から13年は7200万泊まで約2倍に増加しており、日本のシェアは4 %から2%弱まで半減している。 89年11月9日、ベルリンの壁が崩壊してから、今年はちょうど25年目。そして来年は「ドイツ再統一」25周年を迎えるドイツ。歴史的な魅力の多い欧州の中で、絶えず変化し、新しい魅力を発信し続けるドイツは、今後も日本の海外旅行者にとって魅力あるデスティネーションであり続けるであろあったことが大きな要因。一方で、ロマンティック街道沿いの人気都市、ローテンブルクでは、人口1万人弱、供給ベッド数は数千ほどの城壁都市に、年間10万9000泊の日本人需要が押し寄せ、ホテルの仕入れ現場では大混乱も。さまざまな課題も生まれた。 環境先進国として、日本から多くの専門視察団がドイツを訪れるようになったのも、この時期である。95年、ドイツ観光局では当時の日本の環境庁と共同で、ドイツ国内の代表的な200カ所以上もの環境視察素材をマニュアル化、「ドイツエコロジーガイド」と題して発行し、日本における環境意識の高まりを促したほか、レジャー分野とは一線を画したドイツへの旅行需要を生み出すことに寄与した。かつてはオフ期だった冬の需要底上げだ。ドイツ観光局では、90年代半ばから冬の風物詩として、クリスマスマーケットのPRを開始、「クリスマスといえばドイツ」のイメージが定着した。96年の統計と13年の統計を比較すると、12月の日本人宿泊数は96年が5万7655泊だったのに対し、昨年同月は10万5777泊と、ほぼ倍増した。う。また東日本大震災と原発事故を経験し、エネルギー問題への関心が高まった日本にとって、自然エネルギーへのシフトにいち早く取り組むドイツは、日本の将来を占うモデルとして、今後も注目すべき国であり続けるであろう。日本の環境庁と共同でマニュアルを発行ベルリンの壁崩壊翌日1989年11月10日のブランデンブルク門クリスマスマーケットワールドカップのパブリックビューイング(ブランデンブルク門前)cArGe Fanfest BerlincGNTB/Brzoska