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概要

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年にマルチ・ジャパン(後のアクセス)を稼働、旅行業界もNTT などが参入し本格的なネットワークづくりに着手し始めた。 80年代中盤から後半にかけては、新たなプロモーション戦略や販売チャネルが弾みをつけた。特に注目すべきはメディア販売だ。 80年、日本通運がタイ国政府観光庁とタイアップし新聞広告で告知した「タイ・モニターツアー」は1000人を集客。この新たな販売チャネルに着目した近畿日本ツーリスト(クラブツーリズム)や日本交通公社、新日本トラベル、阪急交通社などが続々と参入した。また、84年にはツアーカタログ誌『エイビーロード』『ブランカ』などが登場、こちらは若年層への広告効果が抜群だった。 これらメディア販売の後押しをしたのが、急速に増えた各国の観光局である。86年には、日本に70カ国・地域を超す観光局が置かれ、美しい写真のイメージ広告やイベントを駆使しデスティネーションの需要喚起に取り組んだ。このイメージ戦略は当時旅行会社が押していたモノ・デスティネーション型ツアーにうまく響き、メディア販売や大規模なリゾート開発の動きとも相まって、ハワイはもちろん、バリ、プーケット、ゴールドコースト、ケアンズ、フィジーなどのリゾート地に、日本人、特に20代女性やハネムーナー、若い家族層が押し寄せた。 急成長したメディア販売だが、トラブルも多発。景品で射幸心をあおったり、実態のない「優待」「モニター」といった表現が多用されていたことが問題視され、84年11月には公正取引委員会が「旅行業公正取引協議会」の設置を承認している。 84年12月には日本初となる大規模旅行博覧会「世界旅行博」が開催され、40カ国の政府観光機関や企業が参加。入場者6万8000人を集めた。 87年9月、運輸省は「海外旅行倍増計画(テン・ミリオン計画)」を発表する。貿易摩擦の解消、黒字減らしという狙いを背景に、91年末までに、前年550万人だった年間日本人渡航者数を1000万人にするという計画だ。続く円高やメディア販売の成功もあって海外旅行は再びブームとなっており、実際この年の渡航者数は前年比24%増の683万人で、以後、90年まで10 ~ 20%以上の伸びが続く。しかし、88年末には大手旅行会社が10万円を割る格安ハワイツアーの販売を予告するなど、価格競争はさらに激化。多くの問題をはらみながらの成長は、90年代に入るとそのきしみがあらわになってくる。1984年に登場した海外旅行情報誌『エイビーロード』創刊号の表紙写真提供/リクルートライフスタイル花開いたメディア販売の功罪上/日本エアシステムが成田/ソウル線に就航して国際線3社体制が実現へ(1988年7月)左/航空会社のコンピューター予約システム(CRS)端末がずらり並ぶ旅行会社の店舗(1989年)タブロイド版の『旅の友ニュース』を一新した雑誌型『旅の友』創刊号(1985年8月)写真提供/クラブツーリズムTRAVEL JOURNAL 2014.6.16 32