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概要

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には228万人・前年比64%増、という恐るべき伸び率を示した。ホールセーラーは全国で商品発表会を行って需要を刺激し、他業界からの参入も相次いだ。デパート、新聞社、放送局、商社などが自社ツアー造成やリテール、資本参入とさまざまな形で伸び盛りの旅行業に進出してきた。商品を造れば造っただけ売れた時代だったのだ。 だが、業者が増え供給が過剰になると、当然価格競争が激しくなる。73年ごろからはMTP(最低販売価格)割れする商品も続出。地上手配のダンピング強要や土産物店のKB(キックバック)を頼りにしたツアー造成も目立ち始める。73年のオイルショックがもたらした航空運賃の値上げや需要の減退は、すでに低収益化していた旅行会社の経営を圧迫し、認可運賃を下回る格安航空券も登場するようになる。 渡航者数が増えるにつれさまざまな問題も表面化してきた。社会問題になったのは東南アジアでの買春ツアーなど旅行者のマナー問題で、運輸省は業者責任の一部を認め74年に「海外旅行の健全化対策」を打ち出す。 76年、日本標準産業分類で「旅行業」は格上げ分類され、以後政府の統計上にも「旅行業」として数えられることになった。 70年代後半になると、シビアな価格競争が続きながらも、新たな可能性を模索する動きも出てきた。慌ただしいパッケージツアーの逆を行くモノ・デスティネーションの滞在型プラン、添乗員なしのプラン、79年に旅行自由化された中国(と同時に二転三転した台湾へのツアー再開への苦心)をはじめとする新デスティネーションやSIT ツアーの開発……。78年に発売された旅行開発の新ブランド「ゼロ」に代表される、若年向け商品への取り組みも盛んに行われた。ダイヤモンド・スチューデント友の会(DST)が参加者特典として『地球の歩き方』(最初はヨーロッパ編)を配布し始めたのは76年のことだ。 78年5月20日、12年の歳月をかけた新東京国際空港(成田空港)が、1万3000人の機動隊が守るなか、ついに開港。外貨持ち出し限度額も撤廃され、円高の追い風もあり海外渡航者は順調に伸びた。 79年2月、「ルック」は参加者100万人を突破、この年の渡航者数は400万人を超えた。64年以来、プラス成長を保ち続けた海外渡航者数。この数字は翌80年、ついにマイナスに転じる。左/上空から撮影した開港当時の成田空港(1978年) 右/成田開港当時、出発客でにぎわう空港カウンター(1978年)写真提供/成田国際空港会社成田開港、旅の新たな可能性へTRAVEL JOURNAL 2014.6.16 29|特|集|次の半世紀へ