ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

TJ20140616_BN

ターや香港“夜這い”チャーター(夜間、羽田に駐機する飛行機を安くチャーターする)などを扱っていた近畿日本ツーリストが中心となった。 バルク運賃はまた、業界のあり方を劇的に変えた。手数料業務の「旅行あっ旋業者」から、主体的な「旅行会社」への脱皮を求められたのだ。 71年11月、旅行業の基本法は「旅行あっ旋業法」から「旅行業法」と改められ、弁済保証業務などの責任や、一般旅行業・国内旅行業・旅行業代理店業の3業種が定められるなど、業務と責任の範囲が明確にされた。72年にはJATA(国際旅行業者協会〔現日本旅行業協会〕)が運輸大臣指定の旅行業協会となり、①旅客からの苦情処理業務、②弁済業務保証金に関する認証業務、③一般旅行業務取扱主任者の国家試験委託業務、を新たに担当することとなり、同年10月、第1回「一般旅行業務取扱主任者試験」が実施される。 業界再編成も急ピッチで進んだ。68年、日本交通公社が皮切りとなったホールセーラー誕生ラッシュは、70年代に入りさらに激しくなる。 郵船航空サービス「ダイヤモンドツアー」、阪急交通社「グリーニングツアー」、近畿日本ツーリスト「ホリデイ」、日本旅行「マッハ」、私鉄系3社(京成・京王・京急)の「キングツアー」、東武トラベル「ユニック」、はとバス「エメラルドツアー」、シャープ・トラベル・サービス「レッツゴーツアーズ」、西鉄航空「ハッピーツアー」……。そして航空会社主導のツアーはホールセーラーの整備とともに発展的に解消されるものが増え、「パンナム・ホリデー」「セシボン・ツアー」は日本交通公社の「ルック」に、ノースウエスト航空は世界旅行の「ジェットツアー」と提携した。 こうして旅行業界は大きく分けて、①主催旅行の企画・販売両方を自社で行う会社、②リテーラー、③ホールセーラー、の3つに分かれ、さらに④ツアーオペレーターを加えて、時に専業となり、時に自社にすべての機能を備えながら、現在にも続く業態を整えていった。 旅行業界の勢いは、そのまま日本経済の勢いと重なる。70年代前半、GDP 実質成長率は7%を記録し、71年に導入された円の変動相場制は海外旅行への追い風となった。人々は強くなった円を手に、安くなった海外旅行に殺到した。 70年に66万人だった渡航者数は71年96万人、72年139万人と100万人を軽々と突破し、翌73年成長と問題と、進む低収益化ポスト成田を読む渡邊圭太郎(日本交通公社常務取締役)●トラベルジャーナルの誌面からで扱われており一次責任はないとされているが、これも将来どうなるかわからない。パッケージ商品だけについて言っても、出発をギャランティしなくてはならないし、品質管理にも責任をもつわけです。で、“それがいやだ”という場合もある。責任をもちリスクを負いながら商売していくのがホールセラーの道です。できるけどやりたくないって、別の道を選ぶのがリテーラーですよ」 「地球を相手にしたときには、新商品がないとか、デスティネーションがない 「うちではスケール・メリットというように、よそ様よりは大量に安く仕入れ良いものを作っている。異なった運賃体系とかチャーターなど新しい輸送方式が出てきたら、そういうことをできるところと、できないところが出てくると思う。つまり、責任やリスクを負わなくてはならなくなる。まあまあという感じで商売をやるところと、リスクもあり、責任もあるがもう少し儲けたいというところに分かれてくると思う」 「現在、旅行業法は代売とか取次とかとか、オフシーズンだから売れないなどと言えるものではない。選択ですよ。料理と同じ。うちは所帯が大きいから、日本食から西洋料理まで作らざるを得ないが、一品料理だって勝負できるわけです」 「パンにおかずを付けるのがわれわれの商売です。そういう意味で、キャリアは大事な素材を提供してくれる。料理を作る上で、大事な素材ですからね。ただ、先のことは料理人にまかせてくれって言いたい。売る人、作る人の立場があります」(1978年4月10日号)シアトルで行われた日本航空B747型(ジャンボジェット)第1号機の受領式(1970年4月)写真提供/日本航空TRAVEL JOURNAL 2014.6.16 28