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概要

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 70年3月11日、パンアメリカン航空のB747型ジャンボジェットの一番機が羽田に飛来。4カ月後の7月1日、日本航空とノースウエスト航空が太平洋線にジャンボ機を導入する。ここに大量高速輸送時代がスタートした。 それまでの主力機はB727型、DC8型など中型機材で160 ~ 200席だったものが、ジャンボは350 ~450席。大量に売りさばく必要が出た航空会社の販売戦略から生まれたのがバルク運賃だ。「40席買い取りで64%割引(欧州線)、ただしコミッションはなし」……前年11月に発効した欧州線バルク運賃に続き、1月1日に太平洋線バルク運賃が発効した。 太平洋バルクのインパクトは欧州のそれをはるかにしのぐものだった。この運賃を使って実現できたハワイ・グアムの格安ツアーは、それまで富裕層のものだった海外旅行を庶民の手元まで引き下ろし、海外旅行ブームに火をつけたのだ。70年に大阪で開催され、参加77カ国、来場者6420万人に上った日本万国博覧会もまた、日本人の目を海外に向けさせ、レジャーとしての旅行の楽しさに目覚めさせるひとつの力となった。 翌71年、全日空が国際線不定期チャーター便の運航を香港からスタートさせ、空の選択肢をさらに広げた。販売は、東京オリンピックの戻り便チャー70’ sジャンボジェットの到来は、誕生間もない旅行業界に大きなインパクトと成長のチャンスを与えた。大量輸送とバルク運賃によってパッケージツアーの大衆化は進み、過熱する価格競争など問題をはらみつつ右肩上がりの成長が続いた。ジャンボ就航でツアー大衆化1970年代1970年 1月 太平洋線バルク運賃発効3月 パンアメリカン航空のB747型が羽田空港に初飛来3月 日本万国博覧会が大阪で開催7月 日本航空のB747型が初就航。太平洋線に11月 日本交通公社が、初のジャンボ機チャーターを実施1971年 2月 全日空が、国際線不定期チャーターの第1便を香港に就航3月 日本が世界に先駆けて、IATA-BSP(銀行集中決済方式)を実施4月 東南アジア線にバルク運賃発効8月 円が変動相場制に移行11月 新「旅行業法」施行。「旅行あっ旋業法」から名称も変わる1972年 1月 近畿日本ツーリストが、ホールセール商品「ホリデイ」を発表2月 冬季オリンピック・札幌大会開催2月 日本旅行がホールセール商品「マッハ」を発表4月 JATAと全国旅行業協会が、運輸大臣指定の旅行業協会に10月 ハローワールド設立10月 第1回「一般旅行業務取扱主任者試験」を全国4都市で実施1973年 10月 ヴィーヴルがSIT専門の「ヴァリューツアー」のホールセールを開始10月 アラブ石油輸出国機構(OAPEC)加盟の湾岸6カ国が原油値上げを宣言(第1次オイルショック)1974年 8月 海外ツアーオペレーター協会(OTOA)設立1975年 1月 世界観光機関(WTO)発足10月 JATAが名称を「日本旅行業協会」に改称1976年 2月 IATA代理店手数料引き上げ(普通運賃8%、IT運賃11%)1977年 1月 国際航空運送秩序確立委員会とJATAが、不正格安航空券の排除で協力することに合意3月 公正取引委員会が「懸賞による景品類の提供に関する事項の制限」を全面改正公布。旅行景品の提供困難に11月 第1回日本・国際観光会議(JATAコングレス)東京で開催1978年 4月 渡航用外貨持ち出し限度額撤廃。円貨持ち出し限度額は1人300万円まで引き上げ5月 新東京国際空港開港9月 運輸省がITC(包括旅行チャーター)導入を決定1979年 3月 運輸省がIATA代理店手数料の変更(一律9%)を認可TRAVEL JOURNAL 2014.6.16 27|特|集| 次の半世紀へ