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概要

TJ20140616_BN

 64年4月6日、羽田東京国際空港から日本初の海外観光ツアーが飛び立った。午前発「ヨーロピアン・ジェットトラベル17日間」(参加16人、71万5000円/日本交通公社・アリタリア航空)、午後発「ハワイ・米西10日間」(参加23人、38万6000円/日本交通公社・日本航空)の2本である。終戦から20年を経て、日本人が自由に世界を歩ける時代が到来したのだ。空港には、のぼりを立てて見送る人々の姿も見られたという。 64年4月1日の海外渡航自由化以前に渡航が許されていたのは、官公用、学会、産業視察、留学、スポーツ交流などごく限られた範囲。旅券発行や外貨調達、ビザ手配など渡航手続きは煩雑で、旅行会社には「旅行あっ旋業者」として手続きの正確・迅速さが求められた。特に苦労したのが闇ドルの調達で、手持ちでは足りない旅客のために旅行会社社員は1ドル400円程度のレート(正規では1ドル360円)で外国人からドルをかき集めた。50年代には、外国為替管理法違反で旅行業者が検挙される事態も続出している。 63年4月からは業務渡航が緩和され、それまでは60’s 海外旅行ビジネスの半世紀自由化前夜、海外旅行業といえば業務渡航の事務手続きが中心だった。1964年4月1日の「第二の開国」以降、状況は劇的に変わる。60年代はパッケージツアー、ホールセーラーが登場した旅行業界のあけぼのの時代だった。黎明期から成長期、成熟期、そして転換期へと海外旅行ビジネスの変遷を振り返る。文/山田静業務渡航から観光旅行へ1960年代闇ドル手配も担った「あっ旋業」1964年 4月 海外観光旅行自由化(1人年1回500ドルの制限付き)4月 海外観光旅行自由化後初の観光団第1陣が出発5月「 旅行あっ旋業法」一部改正法公布5月 藤田、阪急、名鉄、南海、東急の5社主催「ファイブ・スター・ハワイ旅行団」第1陣出発6月 日本初の旅行業界専門誌『トラベルジャーナル』創刊7月 スイス航空が日本初のパッケージツアー「プッシュ・ボタン」発表。欧州7カ国19日間のFIT ツアー10月 東海道新幹線(東京/新大阪間)開業10月 第18回オリンピック東京大会開催1965年 1月 日本航空が「ジャルパック」7コース31団体発売2月 JATA総会でIATA旅行代理店協会の吸収合併を可決4月 日本航空が「フライ・ジャパニーズ」キャンペーン開始4月 欧州GIT 運賃発効4月「 ジャルパック」第1陣(ヨーロッパ16日間)出発1966年 1月 観光渡航の回数制限撤廃。外貨持ち出し限度額は1人1回500ドル以内5月 太平洋線航空運賃が2 ~ 15%値下げ。GIT 運賃も導入8月 日本航空がFIT 向け「ジャルキット」を発表1967年 3月 日本航空の世界一周線西回り1番機、東京国際空港を出発3月 アメリカン・エキスプレスが日本でホールセール開始を発表1968年 1月 日本交通公社がホールセール業務の開始を宣言。「ミニ」「ハニー」などを発表3月 日本旅行会が社名を「日本旅行」に変更7月 日本交通公社が海外主催旅行の商品名を「ルック」に統一9月 ニュー・オリエント・エキスプレスが「ジェットツアー」130本を発表11月 日本交通公社と日本通運が業務提携。1月から両社で「ルック」を販売1969年 4月 一般渡航用外貨持ち出し限度額、1回500ドルから700ドルに引き上げ4月 ジャルパックの運営を行う「旅行開発」設立7月 旅行業者6社が共同出資し、「ジェットツアー」のホールセーラー「世界旅行」を設立11月 欧州線バルク運賃が発効24 TRAVEL JOURNAL 2014.6.16