ブックタイトルDubai_2018

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概要

Dubai_2018

ドバイの暮らしを展示したドバイ博物館シェイク・サイード・ハウス いまや世界有数のラグジュアリー・リゾートとして人々の憧れの地となったドバイ。 だが、事実上、歴史の表舞台に登場したのは20世紀に入ってからだ。 ドバイの豊かさを支える石油が発見されたのは1966年で、わずか45年ほど前のこと。それまでは海のシルクロードの交易港として知られていた。中心部を流れるクリーク(運河)がそのシンボルで、アブラ(水上タクシー)が行き交う光景を見れば当時の姿を偲ぶことができるだろう。 では、それ以前のドバイはというと、アラビア湾の入り口近くという地理的条件や、紀元前5000年から8世紀にかけての遺品が発掘されていることから、かなり古くから栄えていたと想像されている。 時を経て19世紀にマクトゥーム家が、現在のクリーク河口西側に首長国を建国。これがドバイの起源となる。当初はダウ船の造船や真珠採りなどを産業としてきたが、いずれも衰退してしまう。1950年に新首長となったシェイク・ラシッドによって石油開発が行われて、ようやく今のドバイの礎が築かれたのだった。 シェイク・ラシッドは「ドバイ建国の父」と呼ばれて敬われている。それは石油の発見後も先を見越し、それに頼らない経済政策を進めてきたからで、港町であったために有力な地場産業を持たなかったドバイに、「観光」という一大産業を生んだのも彼の功績と言える。今後も観光こそが、最大の地場産業としてドバイを支えていくのは間違いないだろう。 われわれ日本人にとってイスラム教はなじみが薄く、旅行中に文化や風習の違いにとまどうのではと、不安を覚える人もいるだろう。実際には、海外の文化を寛容に受け入れ、イスラム教の慣習を訪問者に求めることのないドバイでは、明るく開放的な雰囲気が漂っている。 だが、当然ながら生活にはイスラム教が根ざしている。その壮麗さで知られるジュメイラ・モスクをはじめとして、市内のいたるところに建てられたモスクでは、昔から変わらない1日に5回の祈りが捧げられ、イスラム暦に基づく行事も数多い。スーツやワンピース姿の外国人たちと並んで、アラブの伝統衣装に身を包んだ人々が歩いている姿もドバイを象徴する日常の光景だ。 つまり、ドバイは自由な旅を楽しみながら、エキゾチシズム漂うイスラム文化をも体験できる世界でも貴重な場所なのだ。 たとえば「ヘナ」。植物性の染料を使って手などにタトゥー風の模様を描く。もともとは冠婚葬祭などの際に女性がしていた習慣だが、1週間程度で消えるとあって、現在は旅行者たちの気軽なイスラム文化体験として人気がある。 そして、イスラム文化を最も深く体験できるのが「ラマダン」だ。イスラム暦の第9月に1ヵ月間にわたって行われる行事で、日中は飲食や喫煙ができない(非イスラム教徒はホテル内のレストラン等で食事が可能)。しかし、日没ともなるとイフタールと呼ばれる食事が許され、町にはネオンがきらめき、屋台や移動遊園地などもオープンして、大勢の人々が繰り出して深夜まで賑わう。その幻想的な華やかさは、忘れられない旅の思い出となるはずだ。ドバイの歴史と未来を支える観光素晴らしい異文化体験ができる街「鷹狩り」もアラブの伝統のひとつ