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概要

40_1964-2003

″ /67年3月6日、日本航空による世界一周線一番機が羽田空港を飛び立った。ニューデリー、カイロ、ローマ、パリ、ニューヨークなどに立ち寄るルートだったジェット化が進んだ60年代。B707(ボーイング社)とDC-8(マクダネル・ダグラス社)が航空旅行産業をリードした日本交通公社が発売した「海外旅行シリーズ」。戦後初めての海外主催旅行で、自由化前年の1963年(昭和38年)に貝反売されたカナダ太平洋航空の「カナダ・メキシヨ研修ツアー」。航空会社の研修ツアーが競うように行われ、搭乗前の記念撮影が恒例にだった。航空会社に対しては、国際航空運送協会(lATA)規約が金科玉条で「航空代理店」としての機能が求められた。こうした旅行あっ旋業界の機能論に端を発した自由化警戒論だったが、この悲観論はともかく杞憂に終わった。航空会社が自らパッケージツアーの企画・運営を始めるからである。航空会社がバッケージツアー開発日本乗り入れ航空会社やナショナルフラッグ・キャリアの日本航空にとって、日本は潜在力豊かな海外旅行マーケットとしての共通認識があった。その需要喚起策が航空会社オリエンテッド型のツアー開発である。自社便の使用を大前提に不特定多数を対象とするブランドツアーをつくり、主としてIATA旅客代理店が販売を担当した。航空会社がプロデュースして、航空代理店が売るという二人三脚の商品開発である。その一番手が個人旅行を主体にしたスイス航空の「プッシュボタン」(64年7月)c翌65年から航空会社オリエンテッド型ツアーのオンパレードになる。日本航空「ジャルパック」(団体向け)、「ジャルキット」(個人向け)、エールフランス「セシボンツア―」、バンアメリカン航空「バンナム・ホリデー」、BOAC「ローズツアー」、ルフトハンザ航空「オイローパツアー」、SAS「バイキングツアー」、アリタリア航空「バカンザツアー」などなど。IT1 5運賃を活用して、団体旅行の需要喚起に力を競った。「お一人から参加できます」「添乗員が同行。日本語でも心配いりません」「お支払いは帰国後、月賦でどうぞ」― 。当時の「ジャルバック」の広告には、旅行者の不安を解消するコピーが目立っていた。これらのツアーは、航空代理店が呉越同舟して販売した。幹事代理店を設定して、ツアーコンダクターは幹事代理店スタッフが当たることが多かった。こうして、航空会社を軸に航空代理店が共同じて販売・送客するという、航空会社主導のパッケージツアー流通機構ができ上がった。自由化によるパッケージ商品流通のプロトタイプである。この流通機構は、70年の就航を控えたボーイング747型機(ジャンボジェット)によって、一変することになる。「観光」で手づくりからマスプロヘ海外観光旅行は自由化されたものの、旅行業界の需要は依然として法人を核とする業務渡航(個◎海外旅行40年の航跡人、団体とも)のシェアが高かった。自由化以後の業務渡航シェアは64年81%、65年70%、66年60%、67年52%、68年55%… …。観光目的の渡航者数が業務渡航を上回るのは、69年になってからである。つまり、69年は旅行業界の市場構造がそれまでの業務渡航者主体から、観光旅行者中心に変換するターニングポイントになった。これによって社内の業務態勢も変革を迫られた。旅行あっ旋業からの脱皮である。69年までは、観光旅行自由化前からの業務渡航マーケットが旅行業界の支柱になっていた。企業の業務出張は、インハウスエージェントのドル箱のひとつだった。また、企業や同業者組合、協会・機関などのアフィニティ(類縁)団体の業務視察旅行、研修旅行、産業視察旅行(テクニカルビジット)が主要な商品群になっていた。受注先のクライアントやオーガナイザーと対話しながら進めるセールスが常套で、旅行会社のスタッフは企画。手配。セールス・添乗とオールラウンドの手づくり対応が求められた。オーダーメイドの旅行セールスで実力のある営業スタッフは「ソリシター」として独立して、提携代理店や航空会社からは一日も二目も置かれる存在になった。ソリシターは旅行セールスの原点である人間性を売り込み、信頼と実績で業績を広げた。JammSe■ravelメヒ“"はsEdu“tiOm!Tour to CAMm~a? MEXICOJum l-191965 ら″´α``え″″s観光立国への道9ヽイ,F″ ヽ貯__.n― )′ア`` ヽヽヽヽ4戸≧ 二こ弓お・―/、警ル~― ~ギ1‐`_だヤ・― .■■や呵甲裏祠0′T0′ 二こた 7_ムロF ゛′V