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概要

40_1964-2003

着地型ビジネスヘ目を向けるとき南谷昌二郎シ″″ルッ1941年生まれ。64年東京大学経済学部卒業後、日本国有鉄道入社。会計課長、労働課長を経て、87年西日本旅客鉄道取締役人事部長、90年常務取締役東京本部長・総合企画本部副本部長、92年代表取締役専務、94年代表取締役副社長、97年代表取締役社長。03年4月から現職。48 観光立国への道西日本旅客鉄道代表取締役会長南谷昌二郎氏わが国の旅行業の歴史を振り返ると、1964年の新幹線開業は大きなエポックだったと評価できる。同じ年に渡航自由化され、海外旅行にもエポックが訪れたわけだが、新幹線の開業は国内旅行振興にドライブをかけた。次いで国鉄が行った68年(昭和43年)10月のダイヤ大改正、通称“ヨン・サン・トオ"も特筆すべき出来事だった。このダイヤ改正で新幹線を中心に全国に特急列車網を張り巡らせ、国内旅行の増大につながった。並行して国鉄は国内旅行の促進を積極化し、「ディスカバージャパン」キャンペーンを実施して大成功する。「ディスカバージャパン」はデスティネーション。キャンペーンの先駆としても注目され、その後に続く同種のキャンペーンの増加を促した。重み増す旅行業での展開国鉄改革を経てJRが生まれた際、JR西日本では旅行事業本部を立ち上げ、これが後にTiS本部となる。87年にはJR他社に先駆けて旅行業登録を取得し、旅行事業の独立採算化を図った。さらに旅行業界再編の動きのなかで、TiS本部を分離して日本旅行と合併した。もともとJR西日本では鉄道事業、旅行事業、関連事業を経営の3本柱としており、旅行業への期待は高かった。また西日本の営業管内の旅客需要だけでは限界があり、域外と域内の間の旅客需要を掘り起こしていかぎるを得ない。その意味でもわれわれにとって旅行業としての動きは重要である。関西は名所旧跡や国宝が多く、修学旅行のメッカでもあり、黙っていても旅行者が来ることから、観光産業の企業が協力して何か行うような動きは少なく、それぞれのベクトルは必ずしも一致していない。このままでは、観光についても関西の地盤沈下が起きかねない。そこで関経連や大阪、神戸の商工会議所などが一緒になって関西国際観光振興連合会を作った。それ以前に関西各地の名所を取りまとめ、町づくりの活性化を後押しする歴史街道協議会を作り、最近では海外に向けても情報発信を行うようになった。関西広域連携協議会は関西広域で産業振興や防災に取り組んでいく組織だが、このなかでも観光振興に取り組んでいる。無駄多い観光振興の現状さらに関西国際観光推進センターを立ち上げた。自治体には必ず観光振興のための部門があり、それぞれが独自予算のもと、プロモーションを行っている。これでは無駄も多く、国際観光振興を図ろうという時代にそぐわない。たとえば、海外に観光誘致のミッションを送る場合、大阪と京都が別々に仕立てて意味があるのか。誘致を受ける側にしてみれば、大阪も京都もないだろう。日本・台湾・韓国合わせてひとつの旅行目的地として認識されているかもしれない。県や市が対外的に小さな点として動いても効果は少ない。そこで、せめて関西が一体となって観光促進をするための組織を作ったわけだ。昨年春から活動を開始し、3年間の時限組織としてアジアを中心にさまざまな取り組みを行っている。旅行会社は基本的に送り出しで儲ける構図だから、旅行者を送り出す方に注力するのは当然だ。着地型のビジネスモデルヘの転換は容易ではないが、旅行業が飛躍するためには避けて通れず、日本旅行をはじめ大手旅行会社が先鞭をつけていく努力をしなければならない。旅行者の受け入れで潤うのは自治体、宿泊施設、飲食施設でもあり、旅行会社が受け入れを強化する一方で、より重要なことはインバウンドのベースとなる観光産業全体が、今後さらに積極的に取り組むということだろう。テーマインタビュー◎渡航自由化40年とツーリズム産業の行方″‐‐L