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概要

40_1964-2003

インの安定需要確保が経営的課題に新町敏行鷺物″ヵプ防″″励′1943年生まれ。65年学習院大学政経学部卒業後、日本航空入社。ニューヨーク貨物支店長、日本地区貨物販売支店長などを歴任し、97年取締役、00年常務取締役、01年専務取締役、03年日本航空システム代表取締役副社長兼日本航空代表取締役副社長。04年6月から現職。Visions for Tourism Industry日本航空代表取締役社長新町敏行氏渡航自由化から40周年の今年、日本航空(JL)は国際線就航50周年を迎えた。1954年のサンフランシスコ線から始まった国際線は、その後、欧州線北回りの自主運航、同南回りと続く。67年には大西洋線運航による世界一周路線の完成をみた。また、69年には旅行開発を設立し、65年から販売を開始したジャルパックの運営を行った。快適な海外旅行を手の届く価格で実現し、需要拡大の起爆剤となったこのジャルパックを含め、60年代はJLグループが海外旅行市場拡大に大きく貢献した。70年代は大量輸送時代を迎える。JLはB747ジャンボジェットを積極的に導入し、大量輸送のニーズに応え、島国日本を出入りする人とモノの流れ、つまり旅客の往来と貨物輸送の両面から高度経済成長を支えたと自負している。大競争時代を経て続く80年代は大競争時代となった。85年には航空3社の事業分野を明示したいわゆる航空憲法に基づく「45/47体制」が終わり、87年にはJLが民営化する。さらに悲しく衝撃的な年になった85年。絶対安全運航を改めて誓うことになった御巣鷹山事故が起きた。厳しさは90年代も続き、世界中の航空産業が湾岸戦争を境に“冬の時代"に。特にバブル経済崩壊も重なった日本では、90年代は“失われた10年"と言われるが、JLは“構造改革の10年"とし、国際競争に勝ち抜く基盤づくりが進んだ。そして今年4月、日本エアシステム(JD)との統合を完遂した。旧JLは国際線が収益の70%を占め、外的要因に経営が左右されることを痛感していた。堅牢な経営基盤と強靭な企業体力を手に入れるには、収益の90%を国内線で上げるJDとの統合が必要だった。その後、テロやSARSなど外的要因の多大な影響を被った。国内線は比較的健闘し統合効果を享受できたが、それ以上に国際線の痛手は深かった。外的要因へのリスクヘッジは不断の取り組みであるべきだ。たとえば最近の燃油高騰も、長距離国際線を多く運航するJLは影響を受けやすい。さらなる効率化によるコストパフォーマンス向上が求められている。民間主導でできることから国際線でJLがアウトバウンド中心だったのは、国内で旺盛な海外旅行需要への積極的な対応であり、往復の航空座席を充足できるからだった。しかし、さまざまな外的要因からのリスクヘッジの必要性や機材が大型化し、コスト競争が一段と激しくなる状況下では、アウトとインのバランスの取れた需要を獲得し、インバウンドの安定需要を確保しない限り、国際競争を勝ち抜けない。加えて、ツーリズム産業を取り巻く環境は、官民挙げて観光振興に本腰を入れるという新たな時代を迎えている。航空会社としてもインバウンド育成にできる限りの力を注ぐ考えだ。昨年度はジャルセールスにインバウンド専門チームを設け、今年度は地方の支店でも自治体と協力できる態勢を整備する。観光情報の収集をはじめ、自治体などの観光客誘致活動と協力し、海外支店でインバウンド商品を造成していきたい。インバウンド誘致拡大の前提となる魅力ある地域づくり、国づくりには、官民一体となった取り組みが欠かせない。都市景観の改良などは国を挙げてかかる必要がある。しかし、民間主導でできることもある。たとえば、イベントなどを育ててインバウンド誘致を図る。JLはアウトバウンドではホノルルマラソンで成果を挙げてきたが、インバウンド版の取り組みも可能なはずだ。今後はインバウンドでも主導的な役割を果たしていけると信じている。観光立国への道 45―「IJ=ヽヽ,.L電・■  ,“r y〓″ノノ