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概要

40_1964-2003

0■国際交流を目的とした海外修学旅行が80年代から活発化した。私立高校では「海外修学旅行」が生徒募集の目玉に嘔IE 7ウム●海外旅行の急成長の陰では根強いインバウンド・プロモーションも行われていた。日本食や古典的なフジヤマ・ゲイシャのアピールも天皇ご訪米、米建国200年祭など70~ 80年代は米国旅行ブームに。原動力になったのが旅行会社首脳による視察旅行。スーツで出発が鉄則だった観光局中心のプロモーションが奏効し、オーストラリアヘの日本人旅行者数は10年で10倍規模に急成長した。オーストラリア政府観光局によるロードショーバスも走った(33年)雪甲~~~~~「====ニ`二ごliiilil強力なエンジン開発によってB747SP型機が完成。東京/ニューヨークのノンストップ飛行が可能になった(ノースウエスト航空)”, おヽ″1圏踵嗜|■H■ヽヽロ●7.長崎、新潟などのローカル空港から国際線チャーター便が運航され、定期便乗り入れの足がかりになった。また、ローカル空港整備と並んで、各地でコンベンション施設の建設が競うように行われた。87年には内需拡大策としてリゾート法(総合保養地域整備法)が成立し、沖縄、九州、北海道などに国際クラスの大規模リゾートが開発された。デステイネーション競争が激化70年代に導入されたGIT運賃は、モノ・デスティネーション型ツアーの開発に威力を発揮した。これによって、東南アジア各地、オーストラリア、南太平洋地域のデスティネーション開発、商品開発が加速した。ハワイで開発された滞在型旅行システムやリゾートホテルのノウハウが範となって、バリ、プーケット、ペナン、ゴールドコースト、ケアンズ、フィジー、ニューカレドニア、モルディブなどで大規模なリゾート開発が行われ、日本人リゾート旅客の傘の内に入った。メインターゲットは20代の独身女性。結婚しても海外旅行をあきらめないニューファミリーがこれに続いた。こうしたリゾート商品開発の推進役になったのが観光局である。政府観光局、州政府観光局、都市・地域の観光局を含めると、86年には70カ国。地域を超える観光局が日本にオフィスを開設していた。観光局は情報提供にとどまらず、対日マーケティングを積極化して、多彩なプロモーション活動を展開した。デスティネーションのイメージ展開、イベント開発、アクティビティー開発など、観光局が中心になったツアー開発プロジェクトは数多い。オーストラリア(オーストラリア政府観光局)、カナダ(カナダ政府観光局)、シンガポール(シンガポール政府観光局)、香港(香港政府観光局)、韓国(韓国観光公社)、そして老舗のハワイ(ハワイ観光局)などが、その代表格である。旅行会社の商品開発レースの裏側では観光局による熾烈な日本人誘致競争、デスティネーション戦争が繰り広げられた。その観点から80年代は、観光局というプロモーターの時代でもあった。対面販売に風穴開けたメディア販売旅のプロモーターはメディア戦略として女性誌を重視した。女性誌の海外旅行特集が効果的だったからである。84年には『エイビーロード』『ブランカ』などのツアーカタログ誌が創刊されて、書店で平積みされた。書店は旅行会社に次ぐ海外旅行の発信基地になった。また、中高年マーケットに対しては新聞広告によるメディア販売が活発になった。近畿日本ツーリス戦後いち早く米国文化を運んできた「空の盟主パンナム」。航空旅行業界の発展に貢献したが、米国の規制緩和の波に飲まれて86年に太平洋線から撤退した◎海外旅行40年の航跡卜(クラブツーリズム)、日本交通公社、国際ロータリー旅行、新日本トラベル、阪急交通社などが広告段数を競った。メディア販売の口火を切ったのは日本通運だった。80年にタイ国政府観光庁とタイアップした「タイ。モニターツアー」の新聞広告で、一挙に1000人を集めた。これはスポット企画だったがメディアの情報伝達力に着目して、旅行販売の中枢戦略として導入したのがクラブツーリズムや国際ロータリー旅行などだった。対面販売がセオリーだった旅行業界に風穴を開けるような戦略として話題を呼んだ。「年金積立旅行」(83年、日本交通公社)、クレジットカード提携(同、東急観光)など金融型商品もウインドーに:並んだ。業界では分業化が進展し、ツアーコンダクター派遣会社、送迎代行業などが誕生する。そして、60年代の主役だったオールラウンドプレーヤーの影が薄くなった。87年には運輸省が、海外旅行倍増計画「テンミリオン計画」を打ち上げる。国際収支の黒字減らし策のひとつとして採られたものだったが、官民挙げてのマス・マーケティング積極化の陰では、旅行者の細かいニーズに対応できない場面がじわじわと広がっていった。しかし、円高と好況の波に乗った旅行業界は前進路線をひた走り、後ろを振り返る余裕がなかった。このツケは90年代になってから、バブル崩壊によって戻ってくる。観光立国への道 13第1回・・感参'″ト|.ヽ_¨ ‐"ロロロロヽ多_饉申口 ? , ■| 』じ卜'ビぷ、1口「鬱【~ 1蟹賢ノLb ■