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概要

40_1964-2003

霞ヶ浦、浦安沖……建設候補地が転々とした新空港は66年、成田三里塚で決着。67年に着工、72年に旅客ターミナルが姿を現した全日空は71年2月21日、不定期チャーター便で待望の国際線進出。B727型機で羽田から香港へ。近畿日本ツーリストが中心になってセールスしたい漸“鼈ケ始重ろ1傾出発″78年、自由行動を主体とした若者向けに「ZERO」(旅行開発)が登場。FIT商品の先駈けとなるホールセーラー・オリエンテッドの日剖t旅行メーカー「ホールセーラ…」の出現観光マーケット開発は、業務渡航を主体とする業務体系のギアチェンジを求めた。いうなれば旅行あっ旋業からの脱皮である。不特定多数マーケット向けのレディメイド商品の開発が急務になって、業界には広い視野からのマーケティングカが要求された。航空会社は1機400席というジャンボジェット機の就航を控えて、大量輸送。大量販売の態勢づくりに拍車をかけた。海外観光旅行の自由化からジャンボジェットを迎える7年間は、大量販売への助走期間だったともいえる。この間、航空会社も、ホテルも、旅行業者も目まぐるしい自由化の波に洗われた。国際旅行業者協会(JATA、当時)は:ATA旅客代理店会を吸収合併して旅行業者としての位置付けの明確化を図り、航空会社に対する組織的影響力を強固にした。こうした波間で、観光ツアーを企画・手配する旅行商品メーカーたるホールセーラーが産声を上げることになる。日本航空は69年4月に子会社・旅行開発を創設して、同社のオリエンテッド商品「ジャルバック」の商品化と主催を旅行開発に移行、機能分化を進めた。前年の68年夏に同構想(トラベルエアー構想)が日本航空サイドから明らかにされると、旅行代理店側は「航空会社の直売ではないか」と懸念を表明した。度重なる協議の結果、:ATA旅客代理店10 観光立国への道が旅行開発に資本参加して製販分離態勢が確認される。こうして新生「ジャルバック」がスタートするが、この論争を機に、運送(航空会社)、商品化(ホールセーラー)、小売り販売(リテーラー)の流通システムが鮮明になった。これより先に“旅のご本家"たる日本交通公社と陸送の第一人者。日本通運は手を携えて、航空会社主導の「ジャルパック」に対抗する構えで共同ブランド商品「ルック」を発売する(68年1月)。また、第二勢力として「ジェットツアー」をホールセールしていたニューオリエント・エキスプレスは68年9月に、中堅旅行業者6社の共同出資を得て世界旅行を設立し、ホールセール戦線に参入する。ブランドラッシュの火付け役は747ホールセーラーの出現によって、航空会社オリエンテッド型のパッケージツアー流通機構は発展的に解消された。「バンナム・ホリデー」「セシボンツアー」などは「ルック」に吸収され、「ジェットツアー」はノースウエスト航空などと提携し、独自の商品開発を進めた。「ジャルバック」は、日本航空の強力なプロモーション戦略によって海外パッケージツアーの代名詞にもなった。乗り入れ航空会社もホールセールフランドをサポートする諸態勢を整えた。70年3月11日のパンアメリカン航空のジャンボ就航(羽田)に前後して、郵船航空サービス「ダイヤモンドツアー」、阪急交通社「グリーニングツアー」、近畿日本ツーリスト「ホリディ」、日本旅行「マッハ」が相次いでホールセール商品を発表した。さらに私鉄系3社連合(京成。京王。京急)による「キングツアー」、東武トラベル「ユニック」、はとバス「エメラルドツアー」、シャープトラベル「レッツコーツアーズ」、西鉄航空「ハッピーツアー」などのブランドラッシュが起こり、ホールセーラーを核とする商品流通機構がほぼ固まった。あつ旋業から旅行メ…力…ヘジャンボは飛んだけれど、果たして座席は埋められるのか?ハードウエアの大型化に対応するソフトウエアの開発も進んだ。その象徴的存在だったのがバルクIT運賃である。レギュラー運賃の64%引き(欧州線)というプロモーショナルフェアである。ただし、コミッションはゼロ。旅行商品開発の素材型運賃として導入された。これによって旅行あっ旋業者、旅客代理店は一様に素材組み立て業者(アセンブリーメーカー)としての性格、機能を増進することになる。71年には「旅行あっ旋業法」が「旅行業法」に改定され、法制上でも旅行メーカーとしての責務が明確化された。バルク運賃は1975年に廃止される。代わって登場するのが旅行業界の意向を汲んだコミッショナブ生鳳空クζ`●1鴫: '.個1唯 Nトカー」犠1