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概要

35_1964-1999

行の主導者が「旅行者の意思」から「目的地の意思」に移ってしまったのである。これを機に,アフィニティ(類縁)性の強い既存の集団に最大公約数的な特定旅行目的を当てはめて企画するという従来型の旅行のスタイルから,旅行先のイベントやアクティビティーを謳い文句に不特定多数から個人単位での参加者を募って俄仕立ての集団を作って動かすという新しい旅行のスタイルに大きく変化することとなった。この“はしり"を演じたのが「モニター・ッアー」であった。ハワイ,グアム,オーストラリアの躍進このような形でこの時代に開発が進んだ所は以下のようなデスティネーションである。南太平洋では,フィジーが80年から83年にかけて飛躍的に増加し80年代末にも激増した。ニューカレドニアは,映画『天国に一番近い島』の好影響もあって80年代初めにブームになり,85年の独立問題の政情不安で一度落ち込むが,80年代の後半には持ち直している。オセアニアでは,大規模な宣伝予算をつぎ込んで挑んだオーストラリアやニュージーランドである。84年のエリマキトカゲでブレイクした形で,80年代後半を通してサ|1原調に伸長していった。特にオーストラリアはその間毎年,前年比30%~60%増という高い成長率を維持していた。アジアでは,81年の新生チャンギ国際空港を梃子に国際アーバンリゾートを打ち出したシンガポールが,80年代全体を通して急成長を遂げており,87年には前年比37%の伸びとなっている。マカオを擁し,さらに中国へのゲートウェイ機能も備えて海外旅行の定番となった香港も80年代に大きく仲長している。特に84年~87年は,日本人海外旅行全体の伸びを大きく上回って伸びている。また,83年にノービザ特別区として韓国本土との差別化を強調して,新しいイメージのデスティネーション開発に取り組んだ済州島は,大韓航空の積極的なチャーター便政策の後押しもあって,“下駄履き感覚で行ける,身近で,気さくな観光地"として定着した。そして,この延長線上に,昨今の国内旅行感覚の韓国旅行ブームが生まれている。この頃から日本の「海水浴場」は,イメージ戦争で海外の「ビーチリゾート」に敗れている。その海外シフトの結果がハワイやグアム,バリ島の伸長であり,モルディブやセイシェルの浮上である。とりわけハワイやグアムは, リピーター主体のファミリー・マーケットにとっての定番的なビーチリゾートとしての地位を確保し,80年代の前半を通して一気に激増している。また,この時代には累積して増加してきたリピーターによる,ワンポイントの短期間のヨーロッパ旅行が出てくる。その結果,ロマンチック街道のようなテーマ別のデスティネーション開発が進み,一方ではムーランルージュの夜会とか,サンタクロースのスカンジナビアなど,イベント主導型のオフシーズン対策も進んだ。そして,やはり冬がオフになるカナダが,“冬だからこその魅力"を打ち出して,新しい市場の開拓に成功しているのも80年代で,84年以降の伸長率が目覚ましく,特に87年は前年比で50%増となっている。“誘導ビークル"型観光からの目覚め数々の新しい,そして大型のデスティネーションの開発に成功した1980年代,いわば開発黄金期の後を継いだこの1990年代は,社会全体がそうであったように,デスティネーション開発の分野でも大きくリエンジエアリングを強いられた時代であった。80年代に大きく伸長したアジアデスティネーション(ホテル建設ラッシュの84年頃のシンガポール)湾岸戦争で冷水を被った後,世界的な景気後退に見舞われる。さらに日本は,これに続くバブル崩壊に伴う複合不況に突入して,未だにその出口を見つけだしていない。このような不況が日常化して,もはや拡大再生産機会が望めなくなった世相の中で,消費者自身も着実に賢く変身し成長して,社会iF晨境への対応能力を備えてきている。この結果が無駄な支出はしない「費用対効果」志向であり,自分流の生き方にこだわる「等身大」志向である。そして,この2つの志向に代表される社会的価値観の変化が,実は90年代のデスティネーション開発のあり方に大きな影響をもたらしてきた。80年代の開発は作為的に仕掛けた開発であった。用意した箱に無理矢理に消費者を洗脳して詰め込むといったタイプのやり方で,いわばメーカー・オリエンテッドの考え方である。FGTOが主導するところの,つまりは「目的地の意思」によるデスティネーションづくりであった。これまでに確かに,経験不足で情報不足の消費者にとって,新しい魅力の発見や,予期せぬ感動の気付きに繋がるようなデスティネーションも数多く提案されてきた。しかし,売らんがためにと,消費者の不利益や不満足を,ただ「安いから当然」といって切り捨ててきたようなケースも,なきにしもあらずである。このような例ではなくても,良かれと思って仕掛けた舞台装置が,十人十色の全ての消費者に満遍なく満足されるものではなくて,ある種のセグメントされた市場だけにしか適応しないものであったと後から気づくこともあったはずである。この作られた仕掛けに填め込まれた形の,ある種の誘導ビークルに乗せられた形の観光旅行を経験していく間に,消費者自身も旅慣れて成熟し,次第に自我に目覚め,いくら安くてもそれだけでは行かない,自分の行きたい所で,やりたいことをする(等身大志向)のに,効率的で安上がり(費用対効果志向)な方法を探し出す智恵を会得してきたのだと言えるだろう。適材適所のニッチ0デスティネーションまさにこの10年間は,「旅行者の意思」が「目的地の意思」から海外旅行の主導権を剥ぎ取って失地回復した時代であった。成熟した旅行者の意思が主導するこの時代のデスティネーション盛衰の大きな特徴は,“斑模様"と“気まぐれ"である。“斑模様"というのは,FGTOやそことタイアップする航空会社や旅行会社の開発努力は当然ある水準までの効果をもたらすが,∫`レンづ.■■―■|三鰹、 .1` .・「=… ■ ―ヽ鳳図馴願