ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

35_1964-1999

特別インタビュー●21世紀への視点1990年代を終えようとしている日本の旅行業界は,2000年以降に向けてどのようなビジョンのもとに行動していくべきなのか。JATA常務理事として総需要喚起対策を推進するワールド航空サービス菊間社長と,海外からもその実績を高く評価されているミキ・ツーリスト中西社長にその視点を聞いた。海外旅行1億人時代見据えてョ国際的視野に立つた議論をワールド航空サービス代表取締役社長菊間潤吾氏業界は変わらざるを得ない海外旅行自由化以後,パッケージツアーの誕生,ITCチャーター開始,メディア販売の台頭,格安航空券の浸透など様々な変化があったが,試行錯誤を繰り返しながら, 日本人の誰でも力ヽ どこへでも行ける環境を作ってきた海外旅行業界の役割と存在意義は大きかったと思います。この35年間に旅行者は徐々に成熟度を増してきた。しかし,その成熟ぶりに対して旅行業界側の成熟が追いつかず,アンバランスになっているようで,それが業界が抱える最大の問題でもあると感じている。低収益の業界体質も,元を辿れば原因はここに行き着くと思う。だが旅行業界の未来は,基本的には希望に満ちていると考えていいだろう。ここ1,2年の停滞は,階段に例えれば踏みしろの平らな部分に我々がいるからであって,その階段が上り階段であることは変わらない。WTO(世界観光機関)の予測では,2020年には, 日本はドイツに次ぐ世界第2位の送り出し国になる。その予測数は1億4150万人とされており,にわかには信じ難いような驚くべき数字だが,海外旅行自由化時に12万人だった海旅人口がわずか15年で400万人に達し, さらに20年で1600万人まで4倍増したのと同様, これから先の20年も同じ伸びと考えれば7000万人ということになる。日本人の海外旅行への欲求は減退することはないと確信しています。ただ,旅行業界が今のままのスタイルで発展するわけではなく,旅行業界はボーダレスの時代に,いやがおうでも変わらざるを得ない。発展のための最大のポイントは,国際化と国際競争力の強化と考える。“価格だ"いや“質だ"といった議論の前に,いずれ我々も国際競争に晒されることを前提に,未来を見据える作業が必要となってくる。サプライヤーとの国際競争時代旅行者のFIT化が国際競争を促す一因となるでしよう。FIT客は航空券を買い,現地のホテルや足を自分で確保して旅行する。そういう旅のスタイルが十分に普及した時点で,海外の有カツアーオペレーターが日本マーケットを狙ってくれば,根こそぎ市場を奪われる可能性もある。インターネットなどの普及で海外からの参入のハードルも低くなっており,キャリアの直販体制も徐々に整備されている。つまり,サプライヤーのダイレクトマーケティングが可能な環境が整った時, 日本の旅行業界が,荒々しい国際競争の中に放り出されるのだという覚悟が必要だ。例えばツアーオペレーター依存のツアーしカイ乍れない主体性の薄い旅行会社は,いずれ主導権をオペレーターに奪われ,国際的なツアーオペレーターの存在の影で,下請けに甘んじなくてはならなくなるかもしれない。海外旅行業界の舞台は,言うまでもなく世界。最も国際化されるべき業界で,国際化や国際競争力に関する議論が少なすぎることに不安を覚えることがある。現在のような環境で国際競争力が培われていくのだろうか。“日本で"ではなく“世界で"生きていけることが重要で,消費者保護も含めて,国際スタンダードを意識して, ことを進めなくては道を誤る。全てについて,国際的な視野で見つめ,発想しなければならない時代が迫っていると感じている。双方向交流が基幹産業となるための必須条件きくまじゅんご●1952年東京生まれ。独協大学卒業後,ワールド航空サービス入社、85年に取締役,94年から代表取締役社長。98年からJATA常務理事を務めている。他に旅行業公正取引協議会,(社)日本添乗サービス協会理事。ミキ・ツーリスト代表取締役社長中西成忠氏海外旅行は国際化への原動力海外旅行が自由化された1964年から35年経た今日,海外旅行を経験した日本人の数は延べ2億人に達する。この2億人が日本を離れて価値観の異なる諸外国を旅した事実は,我が国が国際化を果たす上でも大きな力となったに違いないと思います。この35年, 日本は様々な分野で変化を遂げた。この変化に海外から人ってた膨大な情報が大きな役割を演じた事は確か。しかし,情報だけではこれだけの変化にはつながらなかったのではないだろうか。実際に海外を見聞した延べ2億人の人々が底流にあって, この大きな変化への原動力になったのだと考える。1981年,OTOA会員が未だ13社の頃,二期に渡り会長を務めたが,この間に会員は80数社に増えた。ツアーオペレーターは,大きく異なる日本と諸外国との商習慣の間にあって,そのクッション役を果たしているのであるが,特に文書化された契約書もなく,責任の重い請負仕事を託されている状況は,双方にとって不安定であった。そこで旅行会社とツアーオペレーターとの間の海外地上手配基本契約書の作成を推進した。暗中模索で作りLげたこの契約書は,当初, 日本の一般旅行会社からは簡単には受け入れられなかった。だが現在,その個々に渡る内容においては未だ議論を尽くさねばならない諸点があるものの,大筋においては当たり前の事として取り交わされる事となり, これは双方にとって大きな前進ではないでしょうか。イン,アウトのバランスが重要旅行産業は,世界的には,間違いなく21世紀の基幹産業としてその地歩を固めている。ところが日本においては,その産業規模としては20兆円にも達していながら,産業としての評価が低い。繰り返しになるが, 日本の国際化に関して,旅行産業の果たしてきた役割は大きい。日本という国は今日まで,諸外国からの情報を取り込む事には,非常にハングリーだったが, 自国の情報を外に発信することについては,全くといって言いくらいおろそかにしてきた。諸外国からすれば,情報のブラックホールとして存在している。旅行業においても然りで,アウトバウンドが年間1600万人に達しているのに対し,インバウンド400万人はいかにもアンバランスだ。しかもその大半がアジアからの旅行者であり,デイズニーランドとハウステンボスの見学では悲しい。もっと日本には理解してもらうべき古来からの文化が存在するのにである。私は,外の世界を日本人に観てもらうための役割を演じてきた側の人間だが, まだまだ変化に対応していかねばならない日本の国の将来や旅行産業の発展を考えると,やはり双方通行の大切さを強調せざるを得ない。日本において,旅行産業が21世紀の基幹産業となるためには, 2ウェイでバランスよく発展していく事が必須条件だろう。そして,旅行産業が我が国の発展に果たすであろう意義,役割,そして使命について, しっかりと心の中に刻み込んで取り組んでいきたい。それによって,21世紀には旅行産業が名実共にこの国を支える基幹産業としての評価を得るであろうと信じる。なかにししげただ●1938年兵庫県生まれ。神戸商科大学卒業後、トーマスクンク勤務を経て,67年ロンドンでミキ・ツーリスト設立。現在、アイルランド政府観光庁及びエアリンガス・アイルランド航空極東代表.JATA理事を務める。80年代にOTOA会長に2度就任。ユーコスラビア,ギリシャ,オーストリア、イタリアから叙勲,今春,仏政府から“国家成労賞オフィシエ"を授与。爾一一艤E燿E躍■■一■■■■■■■■一■■■■■■■■■目■圏■顛一日爾イ′コ鱚鮮,軒朦「1‐i■覇罐|□