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概要

35_1964-1999

η年代ヽ「葉」の時代∠一一ヽ メ薦西政変,層済麟グの波脚ヘ昭和から平成へ。1990年代に入っても日本経済は減速知らずで,GDPは3~ 5%の伸びを記録,円安基調を続けた。インフレが進行し,土地価格が急騰した。日本企業は強い円を軍資金に海外投資を競った。90年には1000万人の海外旅行を数えた。世界の旅行業界は91年1月に勃発した湾岸戦争で旅行者減に泣いた。日本でも一時的に旅行者の足が止まったが,和平を取り戻した周年後半からは復調し,旅客数は再び堅調な伸びを刻み始めた。しかし,旅客数は伸びたものの大手,中堅旅行業者の収益性は悪化の一途だった。豊作貧乏・薄利多売が90年代になってから顕著になり,「真綿で首」の深刻な経営状態も現れた。lo億円以上の負債を残したミヤビワールドツアーズの倒産などが契機となって消費者保護対策が旅行業界に求められた。JTBと公正取引委員会による「白夜論争」に代表されるパンフレット表記問題など旅行の内容保証が業界の急務となった。こうした動きが96年の第二次・旅行業法改定,旅程保証制度の導入につながっていく。90~ 92年にはヨーロッパで民主化の嵐が吹き荒れる。ベルリンの壁が打ち砕かれ,ソ連ではクーデーター。セキを切つたように東欧諸国で政変が起こり,「東西二大陣営」の戦後社会体制が崩壊した。この動きに運動するように米国の景気が好転,西欧ではEU統合が進展した。日本ではパブル景気が終結した。それでも日本人の個人消費力は低下しなかった。飽食。モノあふれ時代を反映して20代の女性を核に海外旅行者数は右肩上がりのグラフを描いた。特に,脱パッケージツアーのFIT旅行者が増加した。団体旅行をベースとしたGIT運賃は“空中分解"して個人へのバラ売りが日常化,有名無実の状態に陥った。エイチ・アイ・エスなどの格安チケット専門会社が若者やリピーターの支持を得て急成長した。80年代半ばまでは,残席処理機能として業界では必要悪視されていた企業が航空座席の供給過剰を背景に市民権を獲得した。鵬チャネルの構1築進む1994年には関西国際空港が開港して,航空座席供給の二眼レフ体制が整った。また,同年4月には包括個人旅行運賃(IIT), PEX運賃が導入された。エンドユーザー向けの運賃で,スケール・メリットが期待できたプロ向け素材のGITは主役の座を確保できなくなった。一方,世界各国の国際航空会社は20年間にわたってきた航空運賃のデレギュレーション(規制撤廃・緩和)で運賃値下げルートをたとり,低コスト経営を余儀なくされた。旅行業界政策として必要な流通経費の削減まで追い込まれてきた。「FFP」「CRS」,そして提携運航による「ネットワーク」の3大戦略を競ってきた。航空会社直売が可能なPEX運賃もこうした流通経費削減の一策として登場した。流通経費削減は日本のホールセーラーにとっても重要懸案になった。その一策としてコンビニエンス・ストアでのネット販売,インターネットによるヴァーチャル・ショップ販売など新しい形態の販売チャネル構築が急務になった。旅行業界は97年にバブル経済崩壊の直撃を受ける。それまで企業法人が懸命に支えていた不況の波が個人にまで及んだ結果である。土地神話の崩壊,金融危機,企業倒産などの連鎖反応が経済不安を引き起こした。個人消費が引き締められて,海外旅行の手控えにつながった。ジェットツアー,四季の旅社などの旅行業倒産(98年)は,従来のように回転しえなくなつた日本の経済構造の乱気流で起こった青葉の落葉だった。旅行会社は経営立て直しで窮地のリストラ策を練ってきたが,熟年層の顧客対策を固めてきた旅行会社は概してバブル崩壊の直撃に強かった。量販・格安旅行とテーマ性や内容が濃いパッケージツアーに市場が二極化した。こうした消費変革の情勢下で専門店やクルーズなどが地道な伸びを示している。海外旅行自由化から35年。21世紀を目前に控え,旅行産業がとんな花を咲かせ,実を結ぶか。旅行産業を取り巻く市場構造,経営環境は大きなターニング・ポイントにさしかかっている。90年代の主な出来事●市民権を得た格安航空券この年代に格安航空券が市民権を得, IE規航空運賃の在り方や,旅行会社の収益構造にまで,i:夕響を及ぼした。エイチ・アイ・エスの台頭が象徴的で,90年に235億円だ90年代に大きく伸びたエイチ・アイ・エス(写真上),llT導入で消えるのかとも言われた格安チケットだったが・′`おミ、ク値下げ20年間のボディブロー量販にヒズミリ情報戦略で新境地を模索鯵¬ぬ『・