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概要

35_1964-1999

■980-3きな社会問題となった全化特別委員会」を発足させた。この買春観光問題の収束と入れ替わるようにして女性の海外旅行者が増加し始め,80年には115万人に過ぎなかった女性旅行者は89年には369万人に3.2倍に増加する。ちなみに男性旅行者はこの間2.1倍増に止まっている。●デレグの影響と顕在化する運賃内外格差78年にカーター政権のもとで始まった米国航空業界のデレグ(=デレギュレーション。規制緩和)は,80年代に入り日本の海外旅行業界にも影響を及ぼすようになる。本家の米国では84年には日本の航空局に相当する民間航空局(CAB)まで廃止される徹底ぶりで, 自由競争の理念のもとで激しいサバイバルが繰り広げられ, デレグ前には169あった航空会社が70社程度まで淘汰される。82年にはプラニフ航空や英国レイカー航空が倒産し,オイルショック後の航空不況もクローズアップされる。こうした逆風と競争の中で米国の航空業界の勢力地図は塗り変わる。そして85年には, 日本の海外旅行業界の成長に多大な影響を及ぼしたバン・アメリカン航空が太平洋路線をユナイテッド航空(UA)に売却する決定を下し,83年にすでにシアトル/東京路線に進出していたUAは,86年から太平洋線に本格参入する。また消費者の間で航空運賃の内外価格差に関して不満が噴出したことを受けて,運輸省は航空運賃の方向別格差是正に乗り出し,89年には航空局長の私的諮問機関として「航空運賃問題懇談会」が発足する。メデイア販売活況,“流通握った"情報誌80年代は新聞や旅行情報誌を活用した旅行の募集=メディア販売が急速に拡大した時期でもある。従来から新聞系の旅行会社は自社系媒体を利用した募集広告を行ってきたが,79年の第2次オイルショック後の需要の低迷をカバーするため,近畿日本ツーリスト,日本交通公社,国際ロータリー旅行,阪急交通社,新日本トラベルなどがメディア販売を積極的に推進するようになった。KNTの通販部門「クラブツーリズム」の場合,渋谷営業所として80年に開始し1初年度の売上は2億円であったが,90年度には400億円と10年で200倍に急増した。こうしたメディア販売を一気に加速させたのがリクルートである。リクルートは,新聞広告の多いジャンルに専門誌を作り,広告を集稿する方式で求人誌などを創刊していたが,旅行の新聞広告が夕刊紙のほとんどを占めるほどになった84年10月,“海外旅行比較検討マガジン"を売り言葉に「エイビーロード」を創刊する(3号目から月刊化)。それまで類似の旅行情報誌には学生援護会の「海外旅程表」(82年6月創刊,隔月刊,公称7万部,後に月刊化し「ブランカ」に改名,98年に休刊)があり1原則MTP厳守で旅行会社がそこそこ募集媒体として活用していたが,「エイビーロード」は公称25万部でMTP無視,テレビなどを使った宣伝力であっという間に読者とクライアント(旅行会社)をつかみ,“流通を握る情報誌"として影響力を拡大していく。「エイビーロード」が浸透していった背景には,旅行の大衆化と旅行情報へのニーズの高まりがあった。従来,一般消費者にとって饉饉ツアー情報を入手する手段は,新聞広告を見たり,旅行会社をめぐってバンフレット,チラシを集める他なく,大手ホールセーラーのものを一通り揃えるのさえ―苦労1ましてや格安情報を幅広く得ることは至難であった。「ツアー情報はパンフレットやチラシ,新聞広告,ロコミの情報チャネルを通じてもたらされているぐらいで1露出量が限られている。通常,新聞の求人広告を見るのは読者の3%i海外旅行の広告も5%ほどで,総合情報の中に埋もれてしまっている。ツアー情報誌がどんどん出てくれば1市場もさらに大きくなっていくのではないか」と創刊当時,「エイビーロード」編集担当者は語っている。こうした情報誌や新聞への募集広告掲載は確かに市場を拡大した。しかし,限られた誌面の中で比較検討されるのは,内容よりも価格であることが多く,結果的に価格競争を煽り,格安旅行を普及させ、バンフレット制作代や代理店手数料という流通経費のかかる分,価格が高めのホールセール商品を圧迫していくことになった。店頭販売力の劣る中小の中には1新しい販売チャネルとして通販を活用するところが増え,“ エイビー系旅行会社"という言葉も生まれた。この格安旅行の攻勢に対し,大手は「市場の二極化への対応」という言葉をもって低価格な第2ブランド商品をぶつけていくが,結果的に業界の収益性は年々低下し,体力の劣る“エイビー系旅行会社"は過大な広告料負担に耐え切れず次第に淘汰されていった。この中で日覚ましい成功を見たのは「クラブツーリズム」と阪急交通社「トラピックス」だろう。貨春批判で日本人客激減新リゾート″ ノTJ読者が選んだ80年代の10大ニュース好調な旅行産業の成長に伴い,社会的な役割が問われ出したのがこの頃。異業種からの進出,流通再編成,,肖費者主義の台頭1現地との摩擦など,様々な出来事が80年代の旅行業界に起こった。旅行斡旋業から旅行業への移行はそうした意味も持つものであった。TJが当時組んだ企画「80年代の10大ニュース」によると一天安門事件により観光客が消えた天安門広場(89年7月)1:日航機が御巣鷹山に墜落,520人が犠牲に(1985年1位)2:新旅行業法が公布,施行(1982,83年1位)3:運輸省,海外旅行倍増のテン・ミリオン計画打ち出す(1987年3位)4:航空憲法廃止(1985年5位)で全日空。日本エアシステムも国際線進出(1986年1位,88年次点)5:国鉄民営化で新生JR,旅行業に参入(1987年)6:「天安門事件」で中国旅行が壊滅状態に(1989年)7:年間出国者数1000万人にあと一歩(1989年)8:UAがPAの太平洋部門を買収(1985年2位)9:東京ディズニーランド開園(1983年3位)9:米国でノービザ制度導入(1988年2位)次点:KE機墜落で国際航空に暗雲(1983年2位)lMPACT~LE, 1lMPACT瘍■拗闘鳳^颯Essc-航空運賃の内外格差のため安い輸入チケットが話題となつたθ7DEVELOPIMl■ NT OF TRAVEL]NDuSTRY