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概要

35_1964-1999

DEVELOPIM:ENT OIF TRAVELINDuSTRY1970-79この時代,元気盛んなホールセーラーはあの手この手で版促を強化した卜「ホリデイ」, 日本旅行「マッハ」,東武トラベル「ユニック」,はとバス「ェメラルドツアー」,私鉄系旅行業者3社(京成,京王,京急)「キング・ッアー」等が発売され,阪急交通社「グリーニングツアー」ゃ西武トラベル「アロオ」もデビューする。翌73年にはさらに,西鉄航空「ハッピーッアー」, ヴィーヴル「ヴァリューツアー」等が発売され,ホールセールブランドが雨後の筍のように登場する。旅行商品の造成・催行は旅行会社の専門分野になり,64年から登場したキャリア主導型のパッケージッアーは主なプランドに統合され消えて行った。総じて70年代は旅行需要が強く,旅行会社,特にホールセーラーにとって「造れば売れた,儲かった」という時代であった。●徐々に進む国際空港の整備70年代後半には,海外旅行需要の急増を受けて,国際空港の整備も進む。75年当時の国際線発着空港は羽田,大阪,名占屋,福岡,鹿児島,那覇,新潟の7空港だったが,78年には日本の新しい空の玄関口になる成田空港が開港し,79年には長崎,熊本,小松が国際空港となり,合計11の空港が, 日本のゲートウェイとして機能することになった。●中国国交回復と台湾断交海外旅行ハ国際政治や国際経済に強く影響されるものだという現実を,初めて突θイ⑫⑫翁き付けられた年代でもある。72年の日中国交回復と,それに伴う74年4月の日中航空交渉締結により, 日本航空と中国民航の相互乗り入れが始まり, 日本の海外旅行業界は中国旅行という新しい有望マーケットを手に入れることになる。一方,中華民国(台湾)は日台路線の運航停止を通告し,旅行業界は74年時点で44万人近い需要があった台湾への旅行市場を失うことになる。その後,75年には中華航空も日台路線を再開始,この年に設立された日本アジア航空も, 日台路線の運航を開始する。●第1次オイルショックの衝撃73年には第1次オイルショックと「円の変動相場制への移行」が旅行業界を襲う。変動相場制への移行により,IATAも国際航空運賃を発地国通貨建て運賃制度へ移行する必要に迫られ,同年には変動相場制時代に対応する新運賃制度を採用している。第1次オイルショックは,自由化以来,順風満帆で来た海外旅行業界が初めて迎えた試練であった。海外旅行需要は冷え込み,燃料費の高騰による運賃値上げが度重なり,さらに需要の足を引っ張る結果になった。それでも翌74年の海外旅行者数が前年を僅かながら上回ったのは,70年代前半の海外旅行人気の底力と言うべきか。●活発化するチヤ…夕…展開増大する海外旅行需要に応えるためには定期便だけでは不足がちで, これを補うために70年代はチヤーター旅行もブームであった。オウンユース(ォーガナイザーの全額負担の団体),アフイニテイ(類縁団体)しかチヤーターが認められていなかったため,名簿をもとにDMと電話によるセ―ルスで団体をでっち上げることもしばしば行われ,結果的に多方面の業種に向けて顧客の新規開拓がなされた。業界に対するチャーター会社のアプローチも積極的だった(70年)ヨ~ロンパ旅行ソレ,レート14マドリード]375,000ハワイ旅行0ヽすべてが右肩上がりで400万人時代にジャンボ機登場で沸いた70年代は旅行需要もウナギ登り。旅券発給件数で見ると,70年に65万5732件だったものが78年には183万4211件に急増,渡航者数は73年のオイルショックによってやや伸びが鈍ったものの,lo年間で6倍もの伸びを記録400万人を達成した。IATA代理店の販売額を70年と77年の比較で見ると,約4倍の14億円にも伸びた。団体航空運賃の上昇もあって,パッケージッァー価格は右肩上がりの時代だった。(位)1.JTB2.近ツー3.日旅4月通5.東急6.藤田7阪急8.シャープ,72000[ルック・トロピカルムーン6(ライトハワイ6)]9.国際旅行社10.郵船大卒初任給[東証第一部上場企業・事務系男子]IMPAGT酪目りバッケージッア.1073 74 75 76ピヽ■錮コ雪四四菫瓢皿國回∋