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概要

35_1964-1999

η年代?「幹」の時代‐―――‐――――‐‐ メ“d大量職藩貯代が本格化1970年代の幕開けを象徴したのはボーイング747型機(ジャンボジェット機)の就航である。ベンタゴン(米国防総省)の大型軍用機受注で敗れたボーイング社は軍用機の設計を民間機に転用して,747型機の生産に拍車をかけた。マクダネル・ダグラス社はDC-10型機を開発,ヨーロッパでは英仏が中心になつてエアバス(A-300)の生産に着手する。また,ギャラクシーをペンタゴンに納めたロッキード社はその余勢をかうようにL‐ 1011型機を製造する。世界の空は一挙にワイドボディ(広胴)型機に様変わりしていく。1970年には羽田国際空港にパン・アメリカン航空,ノースウエスト航空,日本航空のジャンボ機が就航,日本の空も大量輸送時代に突入した。地上では旅行業界が大量輸送に対応する大量生産/大量消費のシステム構築に火花を散らした。その具体例がホールセールブランドの輩出と他産業の旅行業界進出である。航空会社オリエンテッドのパッヶ―ジツアーはホールセールブランドに吸収されるかたちで姿を消し,旅行会社は競ってホールセールブランドを発表する。70年代前半,GNPは平均7%の伸び率。自家用車,家電,住宅などを中心に一大消費ブームが起こった。そのなかで海外旅行は成長産業の最右翼と目されて,他産業が続々と旅行業界に参入してきた。銀行を代表とする金融機関,新聞。テレビなどの報道機関,デバートやスーパーなどが既存の旅行会社と提携,資本参加するなとして参入した。またグループ内に旅行会社を設立する動きも活発化して,旅行は時代の先端を行く成長産業のひとつに浮上した。71年には「旅行斡旋業法」が「旅行業法」に改定され,旅行業者は旅行斡旋業から旅のメーカー,ディーラーヘ名実ともに業態改革を迫られた。海外旅行ブーム′ご月鳴り遣い燿日本人の海外旅行者数は70年代には66万人余りだったが,lo年後の79年には約404万人になった。10年間に6倍増である。特にホールセールバッケージのブームに火がついた72~ 73年には1年間で90万人増を記録した。経済成長を背景とした海外旅行ブームを一段と加速させたのが,71年の円切り上げ(スミソニアン協定)である。 1米ドル=360円の固定相場制が崩れ,308円レートを初相場とする変動相場制に移行した。この結果,当初は国際航空運賃の換算レート設定などで為替格差の混乱が起こったが,輸入業者である海外旅行業者にとっては「強くなつた円」が実質的な旅行費用の値下げにつながった。20代の「アン・ノン族」を核とする独身女性と結婚適齢期を迎えた「団塊の世代」が海外旅行消費をリードした。GIT運賃が導入されたアジア各地は男性中心のデスティネーションからハワイを目標としたリゾート開発が進み,若い女性が目指す旅行圏内に入つてきた。現地法人が続々,設立されて「ノンエスコーテッドツアー」などパッケージツアーの技術革新も起こった。日本人の国際化と航空旅行が振興するなかで,ダッカ・ハイジャック事件(1975年),買春ツアーなど新たな国際間事件も起こった。旅行業界の存在が大きくなる一方で,'肖費者保護の運動のうねりが海外旅行にも押し寄せて,経営姿勢が問われる場面も多くなった。ホールセールブランドを年輪の中心に70年代は海外旅行産業の幹が太く,高くなった。その間に小枝も伸び始めた。グループ運賃のバラ売り,KB構造など大量生産体制のヒズミもその枝のひとつである。1978年には成田国際空港が開港。海外旅行者の勢いは止まらず加速をつけて旅行業界は80年代へ枝を伸ばして行く。70年代の主な出来事●ジヤンボ機の登場と航空技術革新70年代はジャンボ旅客機の登場で幕を開けた。 70413月11日にはパン・アメ1リカン航空のB747ジャンボジェットの1番機が羽田に降り立ち,7月には日本航空(JL)のB747が太平洋線に就航する。それまでのボーイング社の主力機であるB707シリーズもーした商品ポスター(写真左)。羽田空港にはパンケージツアーの案内板が林立した(76年)3時間ディレイで羽田空港に到着したジャンボ1番機(写真上)。街角でも話題を呼んだ(写真下)l l諄饉″ ‐:l主なホールセーラ業・海外旅行に熱いなざし発展・拡大の軸にホールセール商品い´ヽヽヽヽヽθ2マ‐の貪ヽ・Nトヽヽ,′′1` _ りをレ1%鯰趾削1‐‐町``‐鶴ミ鐵:購`くlil議ヽ.・・“・ヽ