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概要

35_1964-1999

N〒 E R V I E VVムープメントの旗手たち日本で最初のパッケージツアーを生んだ春U 男氏若木孝之氏あの大量輸送時代前夜のような熱意と使命感、自信を持・ル」ヽワ海外旅行自由化がすぐ後に控え、さらにはジャンボ機の就航が間近に迫る中、日本航空は大量輸送時代の到来を予想して、それにふさわしい体制の構築を急いでいた。当時日本航空の販売部長を務めていた利光氏によれば「日本航空が考えた大量販売体制の戦略の柱は、ジャンボ機の早期就航、低価格運賃の導入、海外ホテルチェーン展開、そして専門ホールセーラーの育成の4つ」だったのであり、その専門ホールセーラーが具体化したのが日本初の海外パッケージツアー「ジャルパック」であった。しかし当初は航空会社が旅行商品の造成まで手掛けることに対して、旅行会社側の警戒感が強く、ジャルパックの造成自体は複数の旅行会社が持ち回りで行われた。ところが、「幹事会社となった旅行会社によって商品の品質にバラつきが出てしまう」という理由からジャルパックの運営をする旅行開発が69年に設立される。同社の代表取締役専務に就任し、実質的な最高責任者となった利光氏は、「それでも自社手配は4割で、残りは各旅行会社に頼むという″不平等条約″が残った。しかし、ジャルパックの大量宣伝が総需要喚起に大いに貢献し、また販売手数料で旅行会社が潤う事が理解され、3年後に100%の直接手配が実現し、ようやく″不平等条約″はなくなった」と当時を振り返る。この間、ハワイ向けにツアコンなしのツアーを毎日催行するための体制作りを、社内の反論を押し切って進め、海外ランドオペレーション子会社も設立、現在の海外拠点網の基礎を作った。利光氏と共にジャルパックの誕生に関わり、後に旅行開発の社長も務めた若木氏は「幹事会社の持ち回りの商品造成では、品質が一定せず問題だった。その品質安定と向上が旅行開発に求められた最初の役割だった」と説明する。「だからジャルパックで、パッケージツアーのあるべき形としての見本を示す意気込みだった。特に優秀なツアーコンダクターの育成には力を入れた」。利光氏と若木氏が振り返るジャルパツク草創期の話に共通するのは、旅行業に関わる者としての、当時の使命感や意気込みである。利光氏は「21世紀を前にして、業界があの大量輸送時代前夜の頃の様な使命感を持ち、自信を持って、活気ある明日に向かって前進してはしい」と次世紀ヘの期待を述べる。日本航空・常任顧問 ジャルバック・顧問としみつまつお1923年生まれ。上智大学卒業後,47年日本航空入社。営業部販売促進課長,メキシヨ支店長などを経て69年旅行開発(現ジャルバンク)に代表取締役専務で出向,71年JLに戻り取締役営業本部副本部長,常務取締役,代表取締役副社長を歴任.90~ 95年に代表取締役社長。わかきたかゆき1927年生まれ。早稲田大学卒業後,54年日本航空入社。ニューヨーク支店勤務,国内旅客部課長を経て,69年に旅行開発・常務取締役就任。その後、専務,副社長を経て87年から同社社長。91年相談役,99年顧間。1964年の海外旅行自由化以降、日本人の海外旅行に対する関心は、急速に高まりつつあった。ジャンボ機就航を数年後に控え、本格的な大量輸送時代の到来が、より現実味をおびてきた。その受け皿となるパッケージツアーが続々と発売されたが、「ジャルパック」をはじめ、いずれも航空会社の主導によるものばかりだった。この点に強い不満を感じていたのが、当時、JTB の国際部長を務めていた渡邊氏である。「旅行商品の造成は旅行業本来の仕事であり、キャリアはその素材を提供する協力者であるべき。旅行会社が本来の使命を放棄したのでは存在価値がない」との強烈な思いが、ルック誕生の原動力となったのだc当時の日本航空の若い課長に「キャリアとエージェントは、それぞれの業際をわきまえるべきだ」とも説いたが、結局、ジャルパックが日本のパッケージツアー第1号の栄誉に浴することになるc旅行会社は自らの仕事に誇りを持ち、品位ある旅と業界を目指せ旅行会社主導のパッケージツアー展開を推進だが旅行業界は、業界主導のホールセーラーの誕生を待望していた。そうなれば業界のリーダー役として一刻も早く自社パッケージツアーを立ち上げねばならない。今度は旅行各社に協力を呼び掛けるが、敢えて火中の栗を拾おうという協力者はなかなか現れない。そこで戦略転換し「パッセンジャーのトップ企業JTBと、カーゴN o.1の日通が組めば、航空会社の対抗勢力になり得るはず」と考える。旅行部門の強化は日通の念願でもあり、こうして68年にJTBとH通の提携に基づく海外旅行ブランド「ルック」が誕生する。JTBの旅行会社としての長い歴史と蓄積が、ルックを産む土壌だったのであるcひるがえって現在。「旅行会社は、商品を大切に思う気持ち、仕事への誇りを再確認しなくてはならない。そして、旅行者のビヘイビアにも責任を持ち、時にそれを正すくらいの見識を持つべきだ。旅行会社が先頭に立って、日本人の品位ある旅行と、品位ある業界を目指してはしい」と忠言する。渡邊圭太郎氏元JTB副社長わたなべけいたろう1921年生まれ。東京帝国大学卒業後,47年に日本交通公社入社。国際部長時代に「ルンク」創設を指揮する。74年に取締役となり,以降,常務,専務,副社長を歴任し、常動監査役を最後に90年に退職。θθL■■鰤=E=ヽ臼じ|,,|1日目■露