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概要

35_1964-1999

DEVELOpiMIENT OF TRAVEL INDuSTRY■964-69デスティネーションセミナーには最新情報を求める人々が数多く集まった(68年・米国商務省観光局〔uSTS〕)●それでも60年代の海外旅行者総数は昨年夏の1カ月分航空運賃も激変する。欧州GIT(団体包1(旅行運賃・10人)が65年4月に発効し,68年には人平洋線でGV15(15人以11の団体包括旅行運賃)が発効する[さらには欧sAs THNn{*ifft6?frr!ffifr)vYc州線のバルク(一括契約包括旅行)運賃が69年に発効し,海外旅行の大衆化への動きは,運賃の弾力化に伴い,次第にスピードを増して行く。とはいえ, 自由化の64年から69年までの60年代(6年間)の海外旅行者数は,累計で160万2945人。昨年の日本人海外旅行者数と比べると, 8月のわずか1カ月分の旅行者数162万8575にも及ばない。現在の海外旅行市場の規模からすれば, まさに,海外旅行市場は産声をあげたばかりの“赤ん坊"だったのである。(69年),同年にニュー。オリエントエクスプレスなど旅行業者6社の共同出資でジェットツアーの前身となる「世界旅行」社が設立される。航空会社が先行したパッケージツアー市場に,旅行業者が加わってきたわけだ。こうして,その後のパッケージツアー隆盛の基盤が形作られていった。帥交麟櫨籠急航|●外国観光局の活動がスタ… ト海外旅行業界を取り巻く環境も変化して行く。自由化を翌年に控えた63年には,外国政府観光局の第1号として米国商務省観光局が東京に開設される。これを皮切りに,64年にはインド政府観光局,65年にはメキシヨ政府観光審議会東京事務所,マカオ政府観光局,英国政府観光庁等,66年にはイタリア政府観光局, カナダ政府観光局,香港観光協会, ソ連政府観光局等,68年にはオーストラリア政府観光局, フィリピン観光協会等が開設され,60年代最後の69年にはハワイ観光局や大韓民国・国際観光公社も登場し,有カデスティネーションの観光局が日本に出揃った。またすでに66年には在日外国政府観光機関協会(FGTO)が発足し,世界の旅行産業にとっても有望市場である日本の海外旅行市場を,力を合わせて積極的に開拓して行こうとのムードが盛りLがった。ルンク誕生3年目を迎えての商品発表会バルクフェアのインタヾクト海外旅行業界35年の歴史のなかでもっとも大きなインパクトをもたらしたのは,70年のB747ジャンボの登場と,それに合わせて前年の69年11月に発効した「バルクフェア」であり, ともに業界にとって大きな転機となった。B747は最大490席という従来の3倍以上のとてつもないジャンボ機,巨人機の出現であり、必然的に座席の供給過剰が予想され、航空会社は「席を埋めるためにはどうすべきか」という問題に直面せざるを得なくなった。その結果,旅行会社(エージェント)|こ座席を代理販売させるのではなく,一括して買い取らせる「バルクフェア」が導入されることになった。バルクフェアは従来の団体lT運賃をはるかに凌駕する割引率(普通運賃の60%割引).最低40席買い取り,ノン・コミッションという点で,旅行業界に衝撃を与えた。「40席というのはチャーターの部分買いと同じであり,旅行会社はリスクを背負って必死に売らぎるを得ない。その結果,バルクフェアおよび現地ランド費を含めた仕入れ努力により思い切った旅行の低廉化が進められ,量販に弾みがつき,旅行の大衆化につながった」と大手A社。バルクフェアはヨーロッパ線に69年11月から,翌70年1月からは大平洋路線にも導入され1従来60万円台であったヨーロッパツアーに20万円前後の商品も登場した。「旅行会社にとって驚愕の一語に尽きた」(中堅B社)バルクフェアは,後の旅行産業の急成長をもたらす原動力ともなったが,その半面,航空会社と正一ジェントとの関係を徹底的に変えたとも言える。それまでの航空会社とエージェントの関係は1航空会社は飛行機を飛ばすオペレーションが本業,エージェントはその客を集めるという,文字通りの販売代理店であり1そのどちらか一方が欠けても成り立たない、車の両輪,表裏一体の関係であった。「従って飛行機にお客様を乗せたらエージェントにはコミッションが支払われ,運賃にはその分も含まれているのが当然だった。ところがバルクフェアは代理販売ではなく,航空会社は一括してエージェントに売り,エージェントはそのリスクを丸ごと背負って,何とかして席を売らなければならない時代になった」(B社)航空会社とエージェントとの力のバランスが変わり,バルクフェア導入以降, リスクを全面的に背負う形になった正一ジェントは,なりふり構わず売らねばならない状況に追い込まれていく。「その結果,ルール違反だということは分かっていても座席をバラ売りせざるを得なくなったcこれがエアオンの始まりで,航空会社の方でも座席を埋めるためにそれを黙認する,そんな構図が生まれてしまった」(B社)。バルクフェアは表向きは買い取りであったが,航空会社との力関係次第では一部で返品も可能だったと言う。その後,団体IT運賃が整備され,バルクフェアは'}与えていくが,大量仕入れ1大量販売の口火を切ると同時に,KB(目標達成に対する報奨手数料)依存のハイリスク,国一リターン的な業種への道もまた開いたと言えるだろう。29d6り;L騨ヨ曖ヨ_^‐ マ~~ヽr′⌒ _ヽ.C●‐ 全ヽ▼'44`ヽ胃¬曰粛通F‐注゛ ヽ