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概要

35_1964-1999

、ュニ|1/:'摯|年ι[ヨ`Eユヽ“必要産業"としての負託に応えようタト旅スー^イ丁FЭo5の軌  跡一 一つ ヽ1964年の海外旅行自由化から丸35年が経過した。自由化当時12万人強に過ぎなかった年間の渡航者数は今や1600万人を凌駕するまでになつている。この間,世界に類を見ない日本経済の成長が海外旅行ブームを後押しし,旅行産業が機関車役となって切れ目なく市場を創出してきたことは紛れもない事実。1600万人もの市場を創出してきたことに旅行産業はもっと自信と誇りを持とう。かつてない厳しい現実が目の前に立ちはだかつているのも確かだが,過去もそしてこれからも旅行産業が社会から必要とされる産業であることに変わりはない。自信と誇りを持ち,旅行産業は今こそその負託に応えよう。(取締役編集部長・田中悟)ヽノ、 )  .“産業化"に向けて間つた35年海外旅行35年を一括りにすれば,やはり旅行産業発展の道のりであったということができよう。日本経済の高度成長期にあって,重厚長大産業がもてはやされ,旅行業などは産業以前のマイナーな存在に過ぎなかった。換言すれば,この35年は先輩たちの“産業化"に向けての闘いの歴史であったと記すこともできよう。航空,ホテル,観光といった旅行素材をアッセンブルして商品として流通させる一このコンセプトによって,旅行産業はツアーの大量生産と低廉化を見事に実現し,市場の創出のみならずおびただしい数の夢と感動を消費者に提供してきた。可処分所得の増大ともあいまって,人々は海外旅行がもはや高嶺の花ではなく, 自分でも手の届く身近な存在として認識するようになるのである。市場は急速に拡大し旅行産業の必要性は誰しも認めるところとなった。その証は1600万人市場の到来に如何なく発揮されていると言ってよかろう。市場の創出ばかりではない。かつては時の運輸大臣に“不要不急"と見下された海外旅行が貿易摩擦解消の国策の一つとして促進され,行政当局自らが“テン・ミリオン計画"の名のもとに総需要喚起の旗振り役を任じた。ともすると製造業偏重だった大新聞の経済面にも旅行産業の動向が頻繁に報じられるようになったのも周知の通りである。要は社会に影響力を持つ産業として旅行業が無視できない存在になってきたのである。ついこの間までは,大手の旅行会社が大学生の就職人気企業ランキングの常連となり,専門学校にも高校生がどっと押し寄せた。かつてのマイナーな,あるいはシャビーなイメージは陰を潜め旅行産業に対する社会的認知は飛躍的に高まってきたのである。優秀な人材が旅行産業の門を叩き,従業員の待遇改善も十分とは言えないまでも世間並みに近づいてきた。もちろんすべてがバラ色の展開を示しているわけではないが, こうした産業化への努力と評価を我々は誇りに思い,そして自信としてよいのではないか。旅行業の社会的意義を理解しようだが,今やかつてない変革が日本という国を洗い始めている。経験則がなんの役にも立たず,あまたある産業,企業は座標軸を見失って漂い始めてもいる。旅行産業とて例外ではない。自己変革を呆たさなければならないことは重々分かっていても,過去の強烈な成功体験からなかなか抜けきれず,のたうち回る図がそこにはある。その挙げ句が相変わらずの価格競争の繰り返しである。勿論,価格競争を否定するつもりは毛頭ない。市場創出を果たす原動力となってきたのは事実であり,いち消費者の立場に立てばむしろ歓迎すべき経済活動である。ただ,危惧するのは価格競争だけで本当に旅行産業の未来はあるのか,将来の備えに対する怠りはないのか, ということである。夢と感動を与える旅行産業の役割と社会的必要性に一点の曇りもあるまい。いま一度, この立脚点に立ち戻ってこれからの旅行産業のあり方を論ずる必要があるのではないか。海外に目を転ずれば,観光諸国・地域に対する日本の旅行産業の影響力は飛躍的に高まっている。その経済力も含め日本は送り出し大国であり,極論すれば,観光で生きる諸国・地域の浮沈は日本の旅行産業次第と言うこともできる。要するに国際観光界のリーダーの一翼を担っているのであり,それだけに我が国の旅行産業に対する諸国。地域の期待は高い。旅行産業は間違いなく必要産業なのである。だが,いまある旅行産業が将来にわたって必要とされるかどうかは疑間である。企業経営が優先されるのは十分に分かるが,それだけでは必要産業としての負託に応えて ,:いることにはなるまい。 ―旅行業の社会的意義をもっと理解し,人々にさらなる大きな夢と感動を与える産業へと脱皮して欲しいと切に願う。7`