ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

ジエット機による“冬の時代"終わる海旅1000万人時代に航跡新たジェット機の就航で世界が狭くなるにつ力鴫のんびりとした船旅は影がうすくなっていった。しかしヮ海外旅行市場が成熟し,ライフスタイルが変化するにつれて,船旅は再びヮ脚光を浴びるようになってきた。リッチな船旅から気軽にエンジョイできる船旅ヘヮと楽しみ方も様変わりしてきた。ジェット機出現で旅客船の影うすく…バノンクカ::肖した洋上スクーノン定期船を組込んだ「ソ連セット」旅行を売り出した日本交通公社は,その前年66年12月にチルワ号(1万トンーロイヤル・インターオーシャン。ラインズ=RIL)をチャーターして「お正月船旅・香港」を実施した。4万8000円から12万8000円のクルーズ料金は破格であった。ジェット機旅行の3分の1の費用とあってOLなど全国から300人が乗った。女性のキャビンに入れる女性コンダクターが乗船した。初の海外女性コンダクターはクルーズで誕生したといわれている。70年(昭和45年)ごろまでは,「海外洋上スクール」が団体の船旅として名鉄観光サービス,富士海外旅行(当時)などで企画,学校や自治体などオーガナイザーに売り込まれた。しかし,バルク運賃の導入で空の旅が安くなるにつれて,洋上スクールも“冬の時代"を迎えた。コメット,コンベア880,ボーイング707,ダグラスDC-8, トライデント,ボーイング727… 1960年代に入り,世界の空はジェット機時代を迎える。米,英,仏などの航空機製造会社が競って新鋭機を発表した。居住性と'決適性が増し,音速で飛行する。なによりも航続距離がイ申びて,プロペラ機とは,ひと味もふた味も楽な空の時代が始まろうとしていた。ジェット機は旅客船が1日で航海する距離をわずか1時間で飛んだ。ジェット革命は地球をひと回り小さくしてしまった。「ジェット機時代を迎えて, もう客船の時代は去ったと判断して,スッパリと客船業務は諦めることとし,すべての客船商売から手を引いてしまった」(有吉義弥「日本海運とともに」二日本郵船)日本郵船とならぶ客船会社である大阪商船もジェット機の波を受けて事業を縮小してしまった。客船部門だけを切り離し1963年に日本移住船会社(70年に商船三井客船に改称)を設立した。64年にジェット機で始まったといえる海外旅行の自由化は,客船事業にとっては強敵の出現でもあった。戦前,そして戦後を通じ海運大国を誇ってきた日本の客船会社はジェットの暗雲の下に入ってしまった。レ1967年,横浜/ナホトカ航路とシベリア鉄道を利用した「ソ連セット」(日本交通公社)が発売され,人気を呼んだ9・`一方,旅行会社は,船を安い輸;)ξ手段ととらえて独自に船を商品化した。日本交通公社は, ソ連極東船舶公団が横浜~ナホトカ航路を開設してから,このルートとシベリア鉄道を利用すれば10万円前後でヨーロッパまで行けると着目,1967年にソ連経由のヨーロッパ旅行「ソ連セット」を発売し,ヤング層を中心にもてはやされた。フランス郵船(MM)の貨客船で東南アジア経由でマルセイユヘ入港する“南回り"と,ナホトカ経由シベリア鉄道利用の“シベリア・ルート''がヤング旅行者の格安ルートだった。「クルーズ」として船旅を楽しむ時代ではなかった。安い交通手段として定期船ルートがギ舌用されたのである。|ヽ競クルーズ編17