ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

海外旅行の増加とともに登場9Fl下の増加でさらに多様化パッケージツアーの付属として設けられているオプショナルツアー。海外旅行が一般的になリヮ消費者ニーズが多様化するに従ってオプショナルもまた細分化ヮ多様化してきた。オプショナルという「付属」的な存在から発展し,いまや旅を色彩る主役的な存在になろうとしている。全観光,全食事付きが当たり前の時代1964年4月8日,海外観光渡航自由化後のツアー第1陣『第一銀行ハワイ観光団』(日本交通公社主催)が羽田空港からハワイヘ飛び立った。翌年には日本航空がパッケージ商品『ジャルパック』のホールセールを開始している。この頃のパッケージツアーは,そのほとんどがフルペンションと呼ばれる全食事。全観光付きで,オプショナルツアーというものはなかった。そもそもパッケージツアーができたのは,海外に不案内で言葉の問題もあった日本人が安心して海外旅行を楽しめるためのものだったから, 日本を出発してから帰国するまで,旅程の全行程を添乗員・ガイドが同行し面倒を見るのが普通,むしろ当たり前だったのである。当時のパンフレットをみても,「コンダクターがご案内」と,いったコピーが目だった。海外へ出ること自体がまだ珍しかった時代で,コース内容も当然ながら多くの観光地を見て回る周遊型が中心。自由行動の時間は設定されていないのが普通で,そのためのオプショナルツアーも設定されていなかった。また参加者の方も細かい観光の要望は少なく,オプショナルツアーを設定する必要もなかったのである。92lオプショナノンでニーズのl多様化に対応1970年代になると,海外旅行ブームが起きてきた。アンアンやノンノが海外旅行を取り上げるようになり女性層が増加。旅のスタイルが変わってきたのもこの頃だ。パッケージツアーの内容もバラエティーになってくる。その反面ツアー。キャンセルの心配もでてきた。ツアーを効率よく運用するために,なるべく同一方面,同一都市へのモノ・ディスティネーション型旅行はひとつのコースにまとめ,その代わり旅程の一部に自由行動日を設けた。そこにオプショナルツアーを設定して,参加者の細かいニーズを吸収したのである。その内容も,当時は一般観光コースの部分販売的なものが多かった。半日もしくは1日コースが大半で,滞在地もしくはその周辺の主要観光地をめぐるものだった。ハワイではハワイアン・ナイトといったディナーショーを旅行会社が独自にアレンジしたオプショナルツアーも誕生した。▲潜水艇による海中散策,カラフルな魚の群れやサンゴを眺めることができるとあって人気のオプショナルツアーとなっているオプショナルツアー編■ 機」=′■購.鑢田「116