ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

その○バンフレット戦争からCRS戦争ヘ2極化するセールス手法メディアで始める海外旅行パンフレット戦争から格安旅行チラシもていた代理店対策がホールセーラーにバトンタッチされた。パッケージツアーのパンフレットが店頭の主役になる一方で,格安パッケージツアーのチラシが多く出回るようになった。新聞や雑誌にも海外旅行の広告が半島載されるようになった。格安商品の横行に航空会社は秩序確立委員会を組織t,舌L売の“自警団''を作った。日本広告機構には,IATA力゛決めた航空運賃のMTP(最低販売価格)を下回る旅行広告を差し止めるよう要請し,価格の安定を図ったが,効果は少なかった。77年にはJATAがッアー募集の広告に社名,登録番号,主催,共催を明示するよう会員に通知したが, これは力をつけてきた“モグリ業者"や格安航空券の排除を狙ったものだった。|セールスマンの人間性一海外旅行の経験や知諸%イ固′L―によるヒューマン・ファクターは現在においてもセールスの原点になっているが,1970年(昭和45年)以後, 3M(マス・トランスポート,マス・セールス,マス・コンサンプション)の時代に入ると個人技ばかりには依存できなくなった。海外パッケージツアー, とくにブランド商品が市場戦略の要(かなめ)になると,一般消費財と同じ販売手法力斗曼入されるようになった。「遠くへ行きたい」(国内旅行)などの旅行番組が人気を得るようになる。大阪万博(昭和45年)後の旅客減対策で行われた国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンは,国内旅行が対象だったが,海外旅行を側面からプロモーションする効果があった。77カ国が参画した大阪万博は,FGTO(各国政府の観光機関,現ANTOR)のプロモーションの好機となり,カナダ,アメリカ,フランスなどは“万博効果"が実った。71年には高景気に支えられ海外旅行者が急増した。テレビの「アップダウンクイズ」(TBS系」,「すばらしき世界旅行」(NTV系など海外旅行番組が始まり,航空会社や旅行代理店がタイアップした。旅行会社のカウンターでは,ホールセール商品のパンフレット・ラック戦争が始まった。営業所のスペースいっぱいに各社のパンフレットが並べられ,カウンター・スタッフは商品知識の吸収に力を注いだ。「パッケージツアー販売マニュアル」が作成されCRSの端末セットが営業所の中心を占めるようになった。1970年代後半に入ると,航空会社のセールスマンに代わって,ホールセーラーのセールスマンがリテーラーのカウンターを訪問,ブランド戦争が激化する。コミッション・レートを上げる,営業所店舗開設のサポート,ホールセーラー主催の研修旅行など,それまで航空会社が行っレ大阪で万国博(1970年)が開催され,これを機に景気も上向き,翌年には海外旅行者も増加した90‥  ビMロお`ヽ` 、鶴〓】:F・:`||‐‐慶″鋼,Vヽ..鶴′■田■パッケージツアー・セールス手法編15