ブックタイトル30_1964-1994

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概要

30_1964-1994

【旅は世につれ,世は旅につれ】つまり,オーガナイザーなど特定の団体旅行需要にたいし, 1人のセールスマンが人間性を売り込むマン・ツー・マン型のセールスと不特定多数市場にたいしマス・アプローチする大規模なマーケティング戦略が付行して行われる時代に入った。特定顧客をおさえたエキスパートであるソリシターが活躍する一方で,航空会社によるTVコマーシャルや新聞・雑誌広告が始まった。「新婚旅行―いっそHawaiiにしませんか」「ジャルパック ただ今会員募集中」――昭和45~ 70年代には,こんなCMがお茶の間に流れていった。後,日本航空をのぞく航空会社オリエンテッド型ツアーを吸収するかたちで「ルック」ブランドに統一された。68年11月から出発した「ルック」は日本交通公社, 日本通運,東急航空(当時)によるジョイント型のプランドであった。旅行会社主導とはいえ,航空会社の色彩が強いパッケージツアーで,「ルック」のキャッチ。フレーズは次のようなものがあった。レ「KLMがおすすめするルック」>「BOACで,ルックで・・¨・・気軽に海外旅行」。く大手ホールセーラーに次いで中堅旅行会社がジェットツアーを設立したその後, 3つのホールセール・プランドの成長を観測していた大手。中堅業者が自社内の販売力増強も含む市場戦略として,システム商品であるホールセール・プランドを続々と打ち上げ,72年には大手輸送系企業を中心に次の8社がホールセール戦線に名乗りを上げた。>阪急交通社:「グリーニングツアー」(1月4日)>近畿日本ツーリスト:「ホリデイ」(1月21日)レ日本旅行:「マッハ」(2月16日)レ京成。京王。京浜:「キング」(2月)>西武トラベル:「マロウ」(3月1日)>東武トラベル:「ユニック」(4月3日))はとバス:「エメラルド・ツアー」(5月15日)レシャープトラベル:「レッツゴー・ツアーズ」(8月1日)こうしたホールセール・プランド輩出の背景にはレジャー産業, とくに海外旅行の急成長と付加価値に着日した他産業からの資本参加や市場参入が顕著になった。銀行,デパート,スーパー,新聞社,放送局,商事会社,運輸会社などである。積立て旅行がトラベル・ローンという金融商品に変わり,新聞社は読者対策のひとつとして海外旅行を置いた。デパートは無型商品である海外旅行を商品群に加え,鉄道会社は沿線住民に車内PRを始めた。89▲旅行開発(JCT)の設立説明会,当時の構想では社名は帥ジャルバツクだった他産業が前代未聞 付加価値に注目 ,同業他社へ商品説明日本航空主導によるホールセール専門会社の設立は,旅行会社主体のホールセール事業を加速させる触媒作用となった。日本交通公社は「ミニ。シリーズ」「ハニー・シリーズ」として海外旅行セット商品を集め商品発表会・説明会を開いた(1968年3月19日,パレスホテル)。これがホールセール商品発表会の草分けである。「競合する同業ft財上が参画するか」各旅行会社では連日,ホールセールという流通機構に関して,販売手法をめぐリホットな議論がくりひろげられた。競合他社への窓口としては“中立的"なツアーデスクが生まれた。「ミニー」「ハニー」シリーズは,その日本交通公社, 日本通運,東急航空という大手3社のホールセール宣言は,他社に対しホールセールすることと同時に自社の全国営業拠点の販売力を活かした戦略商品の機能も持っていた。各営業所には「ルック」によって海外旅行セールスのノウハウを育てる意味もあった。ホールセーラーであり,同時にマス・リテーラーとしての機能を合わせ持っていた。こうした大手旅行代理店のホールセール業務開始にあたって,中堅クラスの旅行代理店はニューオリエント・エキスプレスの「ジェットツアー」を軸に,「ニュートラリティー」を旗印に「ジェットツアー」(ヽVTO=ワールド・ツアー。オペレーターズ)を設立した(1969年)。禁ジιハノ装(F●たIIあ4/‐ 門ヽ